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東京地方裁判所 昭和45年(刑わ)2813号 判決

主文

被告人吉村彦一、同築山勝彦、同早川學及び同小原清美はいずれも無罪。

理由

(本件公訴事実の要旨)

被告人吉村は、鹿島建設株式会社の下請業者である長野工業株式会社の鳶職班長として、鹿島建設株式会社が東京都交通局から受注施工した東京都営地下鉄六号線板橋工区第二工区(東京都板橋区仲宿六五番地先から同区氷川町一九番地先までの延長五一〇メートル)の地下鉄建設工事及びこれに伴う諸工事に従事していた者、被告人築山は、鹿島建設株式会社土木部板橋作業所板橋工区第二工区担当工務係として前記工事の施工監督の業務に従事していた者、被告人早川は東京都交通局高速電車建設本部第三建設事務所土木工事第一係として、前記工事の施工監督の業務に従事していた者、被告人小原は東京瓦斯株式会社北部供給所他受工事係として、前記工区に埋設されているガス導管の防護復旧工事にあたりその安全、維持を管理する業務に従事していた者であるが、

一被告人吉村は、昭和四三年一〇月二六日ころから同月二九日ころまでの間、前記板橋工区第二工区中東京都板橋区仲宿六五番地付近において施工された地下鉄工事に伴う口径二〇〇ミリガス導管防護復旧工事に従事し、右ガス導管を支持固定する鳥居建構築工事を標準工法に従つて適切に施工し、もし不適切な場合にはこれを是正してガス導管を正常に支持固定する措置を講じ、ガス導管折損によるガスの漏出及びこれに伴う爆発などの災害事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらずこれを怠り、鳥居建支柱丸太が傾斜してガス導管を正常に支持固定していない状態にあつたことを知悉しながら、その状態のまま埋戻し復旧した場合には、右ガス導管が自動車の荷重、土圧等により折損し、前記事故に至る危険のあることを予測せず、不注意にも、四基の鳥居建に添木をとりつけるなどの安易な措置をしたのみで、なんら適切な是正措置を講じないまま放置した業務上の過失により、

二被告人築山は、昭和四三年四月ころから同年一〇月末ころまでの間にわたり、前記ガス導管防護復旧工事に従事し、右ガス導管を支持固定する鳥居建構築工事が適切に施工されるよう指導監督し、もし不適切な場合にはその都度これを是正してガス導管を正常に支持固定する措置を講じ、ガス導管折損によるガスの漏出及びこれに伴う爆発などの災害事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらずこれを怠り、鳥居建構築工事が粗雑に行われ、鳥居建支柱丸太が傾斜してガス導管を正常に支持固定していない状態にあつたことを知悉しながら、その状態で埋戻し復旧した場合には、右ガス導管が自動車の荷重土圧等により折損し前記事故に至る危険のあることを予測せず、不注意にも、四基の鳥居建に添木をとりつけさせるなどの安易な措置をしたのみで、なんら適切な是正措置を講じないまま埋戻し復旧した業務上の過失により、

三被告人早川及び同小原は、それぞれ、同年一一月一日ころ、前記ガス導管防護復旧工事の立会確認検査をするにあたり、鳥居建構築工事が適切に施工され、これにガス導管が正常に支持固定されているかどうかを十分に確認検査し、もし不適切な場合には、これを適切な方法で是正させるなどして、ガス導管折損によるガス漏出及びこれに伴う爆発などの災害事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前記のとおり、鳥居建構築工事が粗雑に行われ、鳥居建支柱丸太が傾斜してガス導管を正常に支持固定していない状態にあつたにもかかわらず、不注意にも、これが適切に施工されているものと軽信して十分な確認検査を実施せず安易にこれを看過して前記事故に至る危険のあることを予測せず、なんら適切な是正措置を講じないまま埋戻し復旧させた各業務上の過失により、

埋戻し復旧後の昭和四四年三月二〇日午前三時一〇分ころ、東京都板橋区仲宿六五番地石井悠司方前付近に埋戻されていた前記ガス導管が自動車の荷重土圧等のため折損し、その折損部より漏出したガスが右石井宅に流入したため、同人宅台所で作動していた電気冷蔵庫サーモスタットにより引火爆発して火災を発生させ、よつて、右石井悠司(当時三八歳)、その妻石井七枝(当時三六歳)、同長女石井あけみ(当時一一歳)、同長男石井昭典(当時九歳)をそれぞれ焼死、同二女石井洋子(当時一歳)を一酸化炭素中毒死するに至らしめたほか、右同所居住の久保田長蔵(当時六三歳)に対し加療約一か月間を要する顔面両側耳部などの第二度兼第三度火傷、岡崎克躬(当時三九歳)に対し加療約一か月半を要する左膝関節挫傷ならびに左膝関節血腫などの傷害、高口八重子(当時三五歳)に対し加療約一か月間を要する左前腕挫傷の傷害を負わせたものである。

(判断理由)

第一  ガス管の折損と死傷の結果の発生

一  事故の概要

(一) ガスの漏出と爆発

証人田中正人、同末重雅敏、同笠間吉雄及び同北村眞和の各供述、遠藤国男の検察官に対する供述調書(検察官請求証拠目録甲一140の証拠・以下証拠番号のみ略記する)、佐野豊秋(甲一152)、久保田長蔵(甲一42)、高口八重子(甲一48)の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員浅野高之作成の昭和四四年三月二五日付(甲一1)、同年四月八日付(甲一2)及び同月一一日付(甲一3)各実況見分調書、司法警察員石渡昭夫作成の同年三月二五日付写真撮影報告書(甲一4)を総合すると、昭和四四年三月二〇日午前二時過ぎころ、東京都板橋区仲宿六五番地石井悠司方前の国道一七号線(中仙道)路上で、都市ガスのガス漏出事故が発生した。当初はガス臭があたり一帯に立ち込める状況であつたが間もなくして路面が一〇センチメートルほども盛り上つてアスファルトの割れ目からガスが吹き出すという激しい状態となり、おりから同所付近で続けられていた地下鉄建設工事に従事していた鹿島建設株式会社(以下単に「鹿島建設」という)及びその下請会社の従業員らがその場に駆けつけ、同所のガス導管等ガス工作物の管理に当つている東京瓦斯株式会社(以下単に「東京ガス」という)が通報を受けて派遣して来たその下請会社の従業員らとともに、交通遮断の措置をとる一方、近隣の住民たちを起こして火気注意と避難の呼びかけをしているうち、同日午前三時過ぎころ、突然右石井方二階建店舗兼居宅で爆発が起こり、同人方が炎に包まれたうえ、この火が路上に吹き出していたガスに引火爆発して、路上に炎が高く上つた。火はさらに近隣家屋にも燃え拡がり、石井方ほか五戸が全焼、三戸が半焼した。以上の事実が明らかに認められる。

(二) 死傷の結果

司法警察員浅野高之作成の昭和四四年三月二五日付実況見分調書(甲一1)、司法警察員作成の検視調書五通(甲一18・21・25・28・32)、東京都監察医越永重四郎作成の死体検案調書五通(甲一19・22・26・29・33)、司法警察員石渡昭夫作成の右同日付写真撮影報告書(甲一35)、東京都監察医千葉力男作成の解剖報告書二通(甲一36・37)、越永重四郎の検察官に対する供述調書(甲一38)、医師川添利秀(甲一41)、同橋本祥助(甲一44)及び同東二郎(甲一47)各作成の各診断書、久保田長蔵(二通・甲一42・43)、岡崎克躬(甲一45)、岡崎美喜子(甲一46)及び高口八重子(甲一48)の司法警察員に対する各供述調書によれば、前記石井方の爆発及びこれに引き続く火災によつて、石井悠司(当時三八歳)同七枝(当時三六歳)、同明美(当時一一歳)、同昭典(当時九歳)の四名が焼死し、爆発前石井方に充満したとみられるガスのため石井洋子(当時一歳)が一酸化炭素中毒死したこと、石井方の隣家に住んでいた久保田長蔵(当時六三歳)が前記爆発の際火炎を浴びて顔面・両側耳部・両手背面に加療約一か月の第二度兼第三度火傷を負つたこと、自宅に火がついたため二階の窓から裏の塀に降り、そこから地面に飛び降りて避難した岡崎克躬(当時三九歳)がその際加療約一か月半を要する左膝関節挫傷・左膝関節血腫の傷害を負つたこと、近くに住んでいた高口八重子(当時三五歳)が前記爆発に驚愕しての行動により加療約一か月の左前腕挫傷を負つたことがそれぞれ明らかである。

二  ガス漏出の原因

(一) ガス管の折損

司法警察員木村運藏作成の昭和四四年四月一〇日付実況見分調書(甲一16)、司法警察員石渡昭夫作成の同年三月二五日付写真撮影報告書(甲一4)、証人大石一の第三〇回公判における供述その他関係証拠を総合すれば、右事故発生後間もなく、東京ガスにより現場の掘削が行われたが、その結果、同所地中約1.2メートルの深さに埋設されていた直径二〇〇ミリメートルの中圧ガス導管が輪切りにされたような形で円周方向に亀裂が入り折損していることが判明したこと、右亀裂は、管の最下端部では管が接続していたが、上部へ行くほど開いて、その間隔は最大0.7センチメートルに達していたことが認められる。右のような亀裂の大きさと前記一(一)のとおりの激しいガス噴出の状況に、当時本件ガス管を通るガスの圧力は1.02気圧であつたこと(北山輝一の司法警察員に対する供述調書〔甲一102〕)、右ガス管は鋳鉄製で脆弱であり、たわまない性質のものであるから破損が短時間に生ずると認められること(久宝保作成の鑑定書〔甲一78〕)を考え合せれば、前記のとおりガス漏出が始まつた昭和四四年三月二〇日午前二時過ぎころに右ガス管が折損したものと認定することができる。

(二) 折損から爆発に至る経緯

司法警察員木村運藏作成の昭和四四年四月一〇日付実況見分調書(甲一16)及び司法警察員富田克已作成の同年三月二九日付写真撮影報告書(甲一6)によれば、ガス管折損箇所から五メートル余り離れたガス管周辺の土砂は、折損箇所から二メートルほどのガス管周辺の土砂と同様に強いガス臭がしていたこと、右折損したガス管と平行し、これと4.5メートル離れた地表から約1.2メートルの深さの地中に下水管が走つていて、これに石井方はじめ付近の各家庭からの排水が流れ込むようになつていたが、石井方台所からの排水が入る下水桝と、右下水管とを結ぶ陶管に直径約三センチメートルの穴があいており、さらにこの陶管周辺の赤土層を貫通して陶管に沿い右下水管方向に連絡するかのような直径四センチメートルの曲折した穴があつたことが認められ、さらに司法警察員浅野高之作成の同年四月一一日付実況見分調書(甲一3)によれば、石井方台所の冷蔵庫下部に設置されたモーターのマグネットスイッチの接点が接しており、電流が通じて使用中のまま焼燬していたこと、また同人方のガス器具の栓、元栓はいずれも閉になつていたことが明らかである。

以上の諸事実にその他の証拠により認められる関係諸情況を総合すれば、前記ガス導管の折損により漏出したガスの一部が地中を通つて前記赤土層を貫通する穴に至り、ここから前記陶管の穴、次いで下水桝を経て石井方台所に入り、同人方家屋に充満し、折りからサーモスタットの働きで冷蔵庫のスイッチが入り、その際に発した火花により引火爆発に至つたのであり、他方、右折損箇所から漏出したガスの他の一部が土砂の間を通り抜けて前記のとおり路面のアスファルトを持ち上げ、その割れ目から吹き出し、石井方の火により引火して爆発炎上に至つたものと認められる。すなわち本件死傷の結果は、右ガス管の折損を原因として生じたものと認定するのが相当である。

(三) 折損以外の原因によるガス漏出の可能性の有無(消極)

被告人吉村及び同築山の弁護人は「本件ガス管は事故当時折損箇所の志村側(西側)の継手部がゆるみ、相当のガス漏洩が生じていたから、このガスも石井方に充満していた可能性がある。このような漏洩はガス管の管理者(すなわち東京ガス)が適切な保守管理を施していたならば容易に防止し得たものであり、ことに本件現場付近においては、事故前にガス漏洩の事態がたびたび発生していたから、徹底的な調査修理がなされていたなら、右漏洩は防止し得たばかりか、あるいはガス管折損の原因となつた事態を発見して、然るべき対策を講ずることができたかもしれない」旨主張している。

まず、捜査段階で鑑定にあたつた日本大学教授久宝保は、本件折損にかかるガス管に約1.2気圧の圧力をかけて気密試験を行つたところ、志村側(西側)のジョイント(継手部)から五分間で二九〇立方センチメートルの空気が漏出した事実が認められ(前記鑑定書)、この点をもとに同人は「石井方に充満したガスというのは継手の方から漏洩した分であるという可能性がある。少くともその全部が折損箇所から漏洩したガスとはいえない可能性がある」と証言している。そして石垣耕助の司法警察員に対する昭和四四年三月二一日付供述調書(甲一39)には、昭和四三年暮か昭和四四年初めころ、石井七枝が真青な顔をして、「ガス臭くて気分が悪い」といつており、そのとき付近で相当ガス臭がしていたこと、また同年三月一三日か一四日ころにも同女が「最近はガス臭くて困る。何とかならないか」と話していた旨の記載があり、久保田長蔵(二通。甲一42・43)、高口八重子(甲一48)、中村拓美(甲一51)、西澤辰已(甲一53)、松木正路(甲一54)、武田晴薫(甲一56)、荒江勇(甲一95)の司法警察員に対する各供述調書を総合すると、石井方及びその付近の住民は同年一月ころからしばしばガス臭に悩まされ、ときに、右のように「気分が悪くなる」、あるいは「頭が痛くなるくらい」(右中村拓美の供述調書)臭気の強いこともあつたと認められる。

しかしながら、本件事故当時のガス噴出状況は前記のとおりまことに激しいものであつたことに注目すると、右気密試験の際に漏洩した空気の量は右の程度で、さほど多いものではないから、仮にジョイントからガスが漏出していたとしてもそれが右のように噴出したものとは考え難く、またこれが土砂の間を通り抜けて石井方に充満するほどの圧力をもつていたものとも想像することは困難というべきである。さらに証拠によるとつぎの各事実が明らかである。

(1) 右のようなガス漏れの訴えが石井悠司ほか本件事故現場住民からたびたびあつたが、その都度、すなわち昭和四四年一月から五回にわたつて、東京ガスの職員が赴き、いずれの場合にも調査のうえ原因となつた欠陥を発見し、該箇所に必要な修理を施した結果それぞれガス漏洩は止つたこと(司法警察員高見沢行雄作成の昭和四四年五月一日付捜査報告書〔甲一104〕、佐藤芳郎〔甲一105〕及び真野昭次〔甲一106〕の司法警察員に対する各供述調書)

(2) 同年三月一九日の午後三時五〇分から四時ころにかけて、本件事故現場を含む地下鉄工事施行区間で、東京ガス職員によるガス臭調査が行われたけれども、現場付近では全く異状は認められなかつたこと(石田武の検察官〔甲一125〕及び司法警察員〔甲一108〕に対する各供述調書)

(3) 事故当夜、同日午後一一時ころと同月二〇日午前一時一五分ころの二回にわたつて、東京ガスの下請会社でガス管の巡回点検等を行つている職員が、現場を自転車で通つたが全くガス臭を感じなかつたこと(下道孝義の検察官に対する供述調書〔甲一121〕)

(4) 付近住民は本件事故当時のガス臭を従前のものより強かつたと感じていること(久保田長蔵〔同年五月二七日付・甲一43〕及び高口八重子〔甲一48〕の司法警察員に対する各供述調書)

(5) 鑑定人の気密試験は尼崎市で行われたもので、本件ガス管を掘り起こし、切り取つて同市の研究所へ送るなどしている間に、ジョイントが動いたりして空気がそこから漏れるようになつたことも十分考えられること(証人久宝保の供述)

以上の諸情況を考え合せるならば、本件爆発が折損部分以外のところから漏出したガスによるものであると考える余地は全くないというべきである。

なお、仮にジョイント部分からガスが漏出していたとしても、地下間隙にはガス引火によりガス管を破損するに足りる酸素量が存在しないから、ジョイントからの漏出ガスが地中で爆発して本件ガス管を折損したとも考えられない(前記鑑定書)のであつて、以上を総合すれば、本件死傷の結果は本件ガス管の折損を原因として生じたとの前記(二)の認定を左右するに足る情況は存しないというべきである。結局、ガス管継手部分のゆるみによるガス漏洩を前提として東京ガスがガス管について適切な調査保守管理をしていたならば本件事故を防止しえた可能性がある旨の前記弁護人の主張は、その前提を欠くものであることが明らかであつて、失当というほかない。

三  ガス管折損後の事情と因果関係

被告人吉村及び同築山の弁護人は、前記二(三)の主張の点に加え、「ガス導管が折損しても石井方前の下水管と下水桝の接続部分に欠損がなければ本件爆発ないし死傷事故は発生しなかつた。また東京ガス北部供給所の宿直員が通報に対し適切迅速な措置を講じず、緊急車の到着が遅れたうえ、本来閉められるべきガス管のバルブが、その上をアスファルト舗装されてしまつていたため(このことを東京ガスの職員は看過していた)閉められず、他に点在する三か所のバルブを閉めざるをえなかつたことからガス圧を低下させるのが遅れて被害が拡大したし、東京ガスが現場に派遣した下請会社の職員は有効適切な措置を全くとらなかつた」として、以上のようなガス施設及び下水管の管理瑕疵、本件ガス漏洩の通報に対する東京ガスの手落ちは経験則上当然に予想し得ない偶然的事情ないし第三者の行為であるから、これらが介在している以上被告人らの行為と本件事故ないし爆発との間に因果関係は存在しないと主張しているのでこの点につき判断を加えておく。

ガス施設の管理瑕疵の点については、前記二(三)のとおり、ガス管折損以外の原因でガス漏洩を生ぜしめるような瑕疵そのものが認められない。つぎに本件ガス漏洩の通報の点に関し、まず、ガス管管理者たる東京ガスが本件ガス漏出につき初めて通報を受けたのがいつであつたかについて検討する。前記一(一)の項で掲げた各証拠に、遠藤国男の検察官に対する供述調書(甲一140)、水嶌興良の司法警察員に対する供述調書二通(甲一195・196。ただし被告人早川の関係を除く)及び小澤傳吉の検察官に対する供述調書(甲一127。被告人小原の関係のみ)を総合すれば、事故当夜の午前二時過ぎころから本件現場から数十メートル離れた所で破裂した水道管の修理をしていた鹿島建設職員の田中正人及び水嶌興良らは強いガス臭気を感じたことから、ガス漏出場所を探したが分らないまま、同日午前二時三〇分過ぎころ、まず水嶌が、次いで田中がいずれも東京ガス北部供給所に電話をして「ガス漏れらしいから至急調査に来てほしい」旨要請し、さらにその後前記のような激しいガス噴出の状況を知つて、同日午前二時四五分ころ、両名がそれぞれ同供給所に右状況を電話通報したと認めるのが相当である。右供給所の当夜の宿直員の一人である笠間吉雄は、「水嶌から同日午前二時四五分ころ本件事故についての通報を受けたが、その前の午前二時四〇分ころ、相宿直員の小澤傳吉が田中という人から第一報を受けたときいた。しかしその通報は事故の番地も目標も不確かなものであつたといつていた」旨証言している(小澤も前記供述調書において同様の供述をしている)のであるが、右二時四五分の水嶌の通報以降の本件に関する電話については、時刻と内容、通話の相手が逐一記録されていたけれども、それより前の通報について記録が残されなかつたこと、水嶌の本件事故前後の行動については、田中正人、佐野豊秋、遠藤国男の各供述は水嶌の各供述ともよく符合しており、右のうち佐野及び水嶌の供述は事故当日に録取されたものであつて、記憶違いや作為の入り込む余地がないことを考え合せて、前記符合している各供述の信用性は高いというべきであり、これらによれば水嶌が右二時四五分の通報の前に一度右供給所にガス漏れを通報していることは疑いの余地のない事実と考えられるのに、笠間も小澤もこれを受けていない旨の供述を行つていることを考え合せると、第一報は午前二時四〇分ころ田中によつてなされた旨の右両名の供述の信用性には疑問の余地があるといわなければならない。しかし他方、証人田中正人は、「水嶌から東京ガスへ電話したけれども要領を得なかつた旨聞いて、自分も電話をした。その時刻は二時半より前であつた筈である」と供述しているのであるが、時刻についての証言の根拠を尋問され、時計を見た旨答えているものの、その答え方には多分にあいまいさがうかがわれるのであり、同人の証言及び関係証拠を総合して明らかに認められる同人の右電話に至るまでの行動、すなわち、午前二時ころ起こされて水道管の破裂を知らされ、水道局に電話をしたうえ、宿舎の鹿島建設事務所から二ないし三百メートル離れた右破裂箇所に赴いて修理を施したあとしばらく水道局の人を待ち、これが到着後話をしたうえ、ガス臭を感じて、臭いのする方へ一度行つてみたがガス漏れの場所が発見できぬまま前記事務所に戻つたとの一連の行動には優に三〇分は要したものと推認されるのであり、前記佐野豊秋の供述から認められるその後の同人、田中その他関係者の行動についての時間関係を考え合せると、水嶌が午前二時三〇分ないし三五分ころに第一報を入れ、その数分後に田中の一回目の電話がなされたものと認定することができるのである。

そして、その後東京ガスの関係者のとつた措置をみると、前記一(一)の項に掲げた各証拠に、証人和栗勝士の供述、難波誠(甲一120)、遠藤昭十郎(甲一128)、土田孝(甲一115)、被告人小原(昭和四五年五月八日付〔乙60〕ただし二項のみ)の検察官に対する各供述調書、北山輝一の司法警察員に対する供述調書(甲一102)、並びに司法警察員浅野高之の昭和四四年一二月二八日付実況見分調書(甲一101)を総合すると、本件現場を含む東京都北部及び埼玉県等の区域におけるガス導管などガス工作物の維持管理、ガス漏洩の修理を担当している東京ガス北部供給所では、夜間、宿直員が緊急指令室に勤め、通報を受けるとともに事故処理のために必要な指令を発することとなつており、本件事故当夜は技術員の前記笠間吉雄及び工長の小澤傳吉が宿直勤務をしているうち、前記のとおり水嶌らの通報を受けたのであるが、折りから同供給所にある三台の緊急無線車はすべて作業に出動してしまつており、しかも最も近くの板橋区貫井町に出動中の無線車とは連絡がとれなかつたことから、田無市に出ていた緊急無線車に対して急拠本件事故現場へ向うよう指示するとともに、東京ガスの下請企業である日成建設株式会社(以下単に「日成建設」という)の職員に現場へ赴かせたこと、右日成建設の職員は午前二時五五分ころ現場の状況を報告して来たが、右笠間はその内容から中圧ガス導管からの漏出事故であると判断し、右職員に対して付近住民への避難及び火気注意の呼びかけ、交通遮断等の措置を講ずるよう命令し、さらに前記二度の爆発のあと、午前三時一〇分ころ現場に到着した田無市からの緊急無線車及び近くでたまたま工事中無線を傍受して午前三時一五分ころ現場に来た無線工事車二台に対し、中圧ガス管のバルブ(栓)を閉めて、ガスの圧力を低下させるよう指示したこと、事故現場近くのバルブを閉めたあと、その北側のバルブを閉めれば漏出は止まる筈のところこのバルブはその上の路面がバルブ操作用の穴を開けておくことなく全面舗装されてしまつていたため閉められず、他に三か所のバルブを閉めることが必要となり、その作業は同日午前三時三〇分ころ終了し、三時三五分ころガスの圧力が低下して零になつたことがそれぞれ認められる。

以上の諸情況及び前記各証拠によれば、東京ガス関係者の講じた右の措置にはつぎのような問題点が存したことが指摘できる。すなわち、(1)北部供給所の宿直員らは、当夜午前二時三〇分過ぎにガス漏れの第一報を受けながら、直ちに何らかの処置をとろうともしなかつたばかりか、午前二時四五分の通報で初めて日成建設の職員を現場に赴かせるなどの措置を講じ始めたけれども、その段階においてなお、きわめて急を要する重大な事態であるとの認識を欠いている有様で、早期に的確な措置が講じられなかつたこと、(2)右宿直員は、同供給所に予備の緊急無線車が一台あることを失念していて、これを出動させることができなかつたこと、(3)日成建設の職員が場所を間違えたため、現場に到着するのが数分間遅れたこと、(4)前記のとおり板橋区貫井町に出動していた緊急無線車に連絡がとれなかつたのは、同車の作業員が、無線車に常に一名は残ることになつているきまりに従わず車を離れていたためであつたこと、(5)前記のとおりバルブを地中に埋めたまま舗装がなされてしまつていたのに、東京ガスではこのことを知らなかつたことである。

しかし、前記のとおり、ガス臭がするから調べに来てほしい旨の連絡のあと約三〇分、ガスが噴出している旨の通報のあと一五分余りという短時間内に爆発が起こつたことを考えると、右のような問題点がなく、迅速適切な措置を講じえたとしても、本件死傷の結果を防ぐことはきわめて困難であつたといわなければならない。前記久宝保は、本件事故の直接原因として、ガス会社のパトロールカーの現地到着が遅れたこと及びガス会社が速やかにガスの弁を閉鎖しなかつたことを挙げているのであるが、右判断は、ガス漏洩が認められたのが午前一時、ガス会社への連絡が午前二時二〇分、一回目の爆発が午前三時一〇分ころに起こつたとの事実を前提とし(前記鑑定書)、その事実は当裁判所の認定事実とは異なるのであつて、直ちに参考とすることはできない。また、前記認定にかかる本件の時間関係を前提とした場合には、関係者らの迅速適切な措置によつて死傷の結果を回避する可能性がいくらか考えられるとしても、そのことを理由としてガス管折損と本件死傷との間の因果関係を否定することは到底できないものといわなければならない。すなわち、前記のとおり、本件ガス管折損後直ちにきわめて激しいガス漏出が始まつたのであり、そのため即座に、道路に多量のガスが噴出して引火爆発し、あるいは付近家屋にガスが入り充満するなどのことによつて付近住民らをいつ死傷に致すか知れない危険な状態が現出したのであつて、関係者の結果回避の活動がどのようになされるかということとは関係なく、死傷の結果が予見されうる情況に至つたといえるからである。

そして、右の点に照らして考えると、前認定のとおりたまたま石井方下水施設に欠損が存した点についても、かかる事情の有無にかかわらず、ガス管折損により人を死傷に致す危険な情況が現出したわけであるから、同様に右欠損を理由としてガス管折損と本件死傷の結果との間の因果関係を否定することはできないというべきである。結局、前記弁護人の主張は失当といわなければならない。

第二  本件ガス管折損の原因

一  地下鉄工事とガス管の防護復旧

(一) 本件地下鉄工事の概要

司法警察員千葉英〓ほか一名作成の捜査報告書(甲一92)、神山康の司法警察員に対する昭和四四年四月二六日付供述調書(甲一89)、駒田義雄の司法警察員に対する供述調書(甲一91)、長野泰雄(田一137)及び森本裕土(甲一82)の検察官に対する各供述調書、証人沖津明の供述、東京都交通局・鹿島建設問の「工事請負契約書(その一)」(昭和四六年押第六二四号符合一号〔以下押収物については押収物目録の符合の数字のみを「押符〇号」と表示する〕・甲二3)、鹿島建設・長野工業株式会社間の「工事下請負契約書」(押符二号・甲二6)及び「工事下請負基本契約書」(押符三号・甲二7)、「工事記録・地下鉄板橋工区建設工事」と題する書面(押符二六号・甲二58)に、被告人らの当公判廷における各供述その他の関係証拠を総合すると、つぎの諸事実が明らかである。

本件事故現場において行われていた地下鉄建設工事は、昭和三九年一二月一六日建設省により告示された東京都市計画高速鉄道六号線(東京都品川区戸越一丁目〔桐ケ谷〕と埼玉県大和町とを結ぶ30.5キロメートル)のうち、同都豊島区巣鴨一丁目(巣鴨)から同都板橋区徳丸本町(志村)に至る約10.5キロメートルを、東京都が昭和四〇年九月二日にその経路上の国道の管理者たる建設大臣の鉄道敷設許可(地方鉄道法四条)を、同四一年四月二一日に監督官庁たる同大臣の工事施行認可(同法一三条)を得て建設していたもので、この区間の地下鉄トンネル(以下これを「地下鉄構築体」という)は昭和四三年末に完成して、そのころからすでに営業が始められており、本件事故当時は関連工事を一部残すのみといつた状態であつた。

右工事は全区間を一三の工区に分け、各工区を東京都との間で工事請負契約を締結した各企業がそれぞれ施工し、東京都交通局(以下単に「交通局」という)高速電車建設本部第三建設事務所(以下単に「三建事務所」という)の職員が右施工を監督し、企業に対して必要な指示を与えつつ進められた。この工事においては同都豊島区巣鴨一丁目五番地山側(全区間を通じて、巣鴨側から志村側に向かつて、左側を山側、右側を海側と工事関係者は呼んでいた。以下この例に従う)を基点とし、そこから志村方向に二〇メートルごとに基準となる点をおき、これに順次番号を付して測点番号と呼び、これによつて工事の場所を特定していた。本件ガス管折損箇所は測点一九四プラス7.5(右基点から二〇メートルと一九四の積に7.5メートルを加えた距離すなわち3887.5メートル志村寄りの地点の意味。以下工事区間内の地点をこの方法で表示する)であり、この箇所を含む測点一六五から同二一七までの1.04キロメートルは板橋工区と呼ばれ、昭和四一年三月三〇日に東京都との間で締結した契約に基づき、鹿島建設が施工に当つた。同社はこの建設工事のため同社中央出張所板橋作業所を設置し、右工区を測点一九一プラス一〇を境として二つに分け、巣鴨寄りを第一工区、志村寄りを第二工区と呼んだ。本件事故が発生したのは第二工区であるが、この工区は鹿島建設が長野工業株式会社(以下単に「長野工業」という)に下請させて、昭和四一年八月、工事に着手し、昭和四四年四月三〇日に竣功した。

右板橋工区の工事はいわゆる開さく式工法によつて行われた。これは路面を掘り下げ、土砂を運び出して大きな溝をつくり、その底に地下鉄構築体を建設し、その上に土砂を埋め戻して路面を復旧する工法である。工事に当つてはまず数か所を試掘して上下水道管、ガス管等の埋設物の状況を調査し、ついで右の溝の両側及び溝の中央にあたる所に一定間隔で(ただし右調査結果に基づき埋設物に当るような所は避けて)鋼杭を打ち込み(両側に打ち込む杭を「側杭」、中央に打ち込む杭を「中間杭」という)、これらの杭の上端の地表のところに鋼桁(覆工受桁)を渡し、これに覆工板と呼ばれる鉄製の板を載せ、その上を自動車等が通行できるようにし、夜間には一部これを外して材料の投入などができるようにしたうえ、その下で溝の両側に沿い側杭の所に土留を施し、後記のとおり埋設物を防護しながら掘削したあと、底に地下鉄構築体を建築し、これが完成したあと、埋設物を地中に復旧させつつ土砂の埋戻を行い、地表までの埋戻ができると覆工板や受桁を撤去し(これは「覆工撤去」といわれている)、さらに側杭・中間杭を引き抜いて、路面を舗装し復旧するのであるが、右板橋工区第二工区の本件事故現場付近では、昭和四四年一月上旬に右覆工板等の撤去と路面舗装がすでに終了しており、本件事故当時、工事はほぼ完成した段階にあつた。

(二) 埋設物の防護復旧

前記(一)で掲げた各証拠に、証人酒井成泰の供述、千川多七(甲一96)、重松通夫(甲一97)の司法警察員に対する各供述調書、尾崎鍵治の検察官に対する供述調書(甲一184)並びに東京都交通局長及び東京瓦斯株式会社供給部長作成の「高速電車建設本部の施工する工事に伴うガス施設防護工事に関する協定書」(写)(甲追加分四4)によれば、つぎの各事実を明らかに認めることができる。

本件地下鉄建設工事が行われた区間の地中には、ガス管、上下水道管、電力及び電信電話用電線等きわめて多くの地下埋設工作物が存在していた。そして前記のような工法による地下鉄建設工事の過程ではこれらの埋設物を掘り出し露出させるなどの作業は避けることができないから、工作物がそのため損傷し、ないしはその機能を保持しえなくなる等の事態を招くことのないよう、防護する措置を講じて工事を進めたのち、これらを再び地中に埋設して復旧すること、場合によつては工作物を移設し、あるいはこれらに改変を加えることが必要となる。このため建設大臣は、前記鉄道敷設許可に際し東京都に対して、「鉄道施設は、地下に埋設してある公共用地下工作物に対し相当の距離を保ち、かつ、適当な防護措置をしたものでなければならない」との要求を行い、さらに関東地方建設局長は、昭和四一年六月一日、建設大臣による前記工事施行認可に付された条件に基づいて建設工事施行方法を承認するに当つて、東京都交通局長に対し、これら地下埋設物を含む占用物件の取扱につき、あらかじめこれらの物件の管理者と協議をすることを求め、かつ、これらの移設、改築、防護の際の手続等につき指示を与えたが、これより先交通局ではこれら地下埋設工作物管理者ほとんどとの間で、地下鉄工事の際の地下埋設工作物の取扱い、ことにその防護復旧について協議を行い、そこで決められた工法に従つてその工事を実施する旨の協定を締結していた。

ガス導管については、昭和三四年一月に、交通局高速電車建設部と東京ガスの間で「東京都交通局施行地下鉄工事に伴うガス管移設及び防護工事取扱い要領」という文書が交わされ、防護復旧について簡単な取り決めがなされていたが、そのころ監督官庁である東京通商産業局公益事業部が東京都建設局・水道局・交通局、帝都高速度交通営団、東京電気通信局等道路を掘削して工事を行う諸事業主体と東京ガスの代表を集めてガス導管事故防止対策協議会を開き、地下埋設物工事並びに道路工事に伴うガス導管工事に関する協定及びその標準工法の雛形をつくり、これを基にして各企業間で個別に協定を結ぶよう指導したことから、交通局と東京ガスは、右雛形に基づいて、昭和三六年一〇月に協定を結び、さらに昭和三九年三月二六日、右協定を改訂して「高速電車建設本部の施工する工事に伴うガス施設防護工事に関する協定」を締結した。右改訂された協定においては、ガス導管の防護復旧は、交通局と東京ガスの両者間で定める標準工法に従つて施工すること、これにより難い特殊な場合には両者協議のうえ施工することとされていた。

(三) ガス管防護復旧の標準工法と本件工事の標準図

前項(二)掲記の各証拠に、「ガス導管防護ハンドブック」と題する冊子(押符六号・甲二17)、「ガス施設防護工事に関する標準工法」と題する冊子(押符九号・甲二26)及び遠藤浩三の検察官に対する供述調書(甲一175)を総合するとつぎの各事実が認められる。

交通局と東京ガスの間で定められた標準工法は、掘削により露出したガス導管をその上方の地表面に固定した角材に、針金又はワイヤーロープで吊り下げて防護(吊防護)したうえで掘削を進め、さらに地下鉄構築体を建設したあと、土砂投入による埋戻をするに当つて、ガス施設が移動ないし沈下を起こすことがないように、基礎となる受台をガス管の下に置き(受防護)、埋戻が進んだところで吊防護を外して復旧するというものである。受防護の方法としては、昭和三六年の協定の際には、松丸太二本を並べて建てその上端にガス管を受ける枕木を載せた鳥居型基礎と呼ばれる受台を埋戻土砂の中に打ち込んでガス管の下に設置し、これによつてガス管を受けるいわゆる「浮基礎工法」によつていたが、昭和三九年の改訂のあとは、右の鳥居型基礎の形を変えて支柱となる二本の丸太の長さを伸ばし、その根本を地下鉄構築上にコンクリートで固定した「鳥居建」と呼ばれる受台を使用することとなつた。また右協定では、これらの防護工事及び防護工事完了後の道路の本復旧は原則として交通局が施工することとされた。

交通局では右標準工法に基づいて、地下鉄工事の現場の状況に即した具体的工法を決め、これを「ガス管防護標準図」及び「ガス管復旧標準図」に図面化し、本件地下鉄工事請負契約を締結した各企業に対して右工事の一環としてガス導管の防護復旧工事を施行させたが、その工事は右各標準図に従つて行うよう求めた。この図によれば、吊防護は、覆工受棹と覆工受桁の間に松丸太の太鼓落し(丸太の上下二面だけを平らに削り、他の面を丸いままにした形状のもの)を渡して固定し、掘削により露出したガス導管をワイヤーロープでこれを吊り下げるという方法によること、受防護の鳥居建は、その高さが四メートル以上の場合には、支柱となる松丸太(太さは、上に載せるガス管の直径が一〇センチメートルから三五センチメートルのとき、末口〔最も細い部分の直径〕が13.5センチメートルのもの)二本を一〇対一の勾配で、上端の間隔を数十センチメートルあけて向い合せて立たせ、両支柱を数本の横材(幅止め)で結びつけたうえ、両支柱間に二本の斜め材(筋違い―すじかい)を交叉させて取り付けること、右幅止め及び筋違いはボルト締めして支柱に止めて取り付けること、支柱丸太の上端には「笠木」と呼ばれる松の角材(昭和三九年の協定改訂前は「枕木」と呼ばれていたもの)を載せ、これを支柱丸太に鎹(かすがい)八本で取り付けること、笠木は九センチメートル角の角材を用いること(ただし東京ガスと交通局間の協定にかかる標準工法では、笠木の太さは上に載せるガス管の直径によつて異なるものとされ、ガス管直径が前記の一〇センチメートルから三五センチメートルの場合の笠木としては13.5センチメートル角の角材を使用することになつていたのであつて、東京都の作成した標準図と右標準工法との間には食い違いがあつた)、鳥居建はガス導管の下に、ガス管の延長方向と垂直となる向きに、ガス管が両支柱の真中に来るようにして地下鉄構築上に、1.3メートルの間隔で並べて建て、その支柱丸太の根元を一定の大きさ(ガス管直径が三五センチメートルまでの前記の場合のその大きさは縦・横各四〇センチメートル、高さ三〇センチメートル)の箱型に打つたコンクリート(根固めコンクリート)で固定するとともに、松丸太を二つ割りした横材(水平継材)を数本、各鳥居建支柱にボルトで止め、各鳥居建を前後に連結することとされていた。以上の形状の鳥居建標準図は別紙一「鳥居建標準図」のとおりである。

(四) 本件ガス管の防護復旧

司法警察員千葉英〓作成の捜査報告書(甲一99)、「ガス管復旧方法変更図」(押符一二号・甲二31)及び「埋設物復旧平面図」(押符一三号・甲二34)に被告人築山の供述その他関係証拠を総合すれば、つぎの各事実が認められる。折損した本件ガス管は二〇〇ミリ中圧管(外径22.58センチメートル)であり、この管の位置の地下鉄構築からの高さは5.8ないし9.2メートルであつて、その受防護のためには前項(三)記載の形状の鳥居建が建てられることになつていたのであるが、場所によつては、ガス管が中間杭や側杭に近過ぎるため標準図どおりの鳥居建を建てたならば笠木にガス管を載せることができなくなるというところがあつた。また本件地下鉄構築上には、その山側部分に東京国道工事事務所が各地下鉄建設工事施行企業に請負わせた、地下埋設工作物を集合的に設置管理するための共同溝が建設されており、ガス管と右共同溝との位置関係によつては標準図どおりに鳥居建を建てる余地のない場所もあつた。そこで鹿島建設板橋作業所では、側杭等に近接した支柱丸太は勾配をもたせず真直ぐに建て、他方の支柱だけを傾斜させた形の鳥居建や、片方の支柱丸太は地下鉄構築上に固定するが他方の支柱丸太を短くしてこれを共同溝の構築の上に載せて固定する、いわば跛形の鳥居建、鳥居建の代りに直立させた三〇センチメートル角の角材の上端に笠木を載せ、これを地下鉄構築や共同溝の構築上に根固めコンクリートで固定することによりガス管を受ける、「尺角」と呼ばれる受防護を考え出し、その図面を交通局及びこれを介して東京ガスに提出して両者の承認を得た。この図面は「変更図」と呼ばれた。また地下鉄構築からガス管までの高さが高い箇所の鳥居建支柱は二本の松丸太を継いだものが用いられ、このような支柱を使つた鳥居建は「継ぎ物」と呼ばれ、継いでいない一本の松丸太でつくられた鳥居建は「一本物」と呼ばれた。特定箇所の鳥居建を継ぎ物にするか一本物にするかは、施工業者たる鹿島建設の判断に委ねられていた。

そして、証人山田孫一、同林藤男、同吉岡善秋、同後藤清蔵、同白戸光頼の各証言、被告人吉村及び同築山の当公判廷における供述に、長野工業の工事日報綴り昭和四三年五月分、同年一〇月分及び同年一一月分(押符一七号の八、一七及び一八・甲二43)並びに同社の作業日報綴り同年五月分(押符一八号の五・甲二46)を総合すると、鹿島建設板橋作業所では、現場監督が長野工業の鳶職の工長らに右標準図及び変更図に基づいて作成した施工図を渡し、同社の鳶職らがこれにより鳥居建等の建設にあたつたこと、施工に際してはガス管から地下鉄構築上床までの高さを測り、これより長めに切つた松丸太二本を土留のため坑内を横切つて渡した横梁(土留支保工)などに寄りかからせて立てたままこれに筋違いと幅止めを付け、これをウインチで引き上げて起こし、数基ごとにまとめてガス管の下に並べ、ガス管から水糸を垂らしてガス管の中心の真下に鳥居建の上端及び底辺の中心が来るようにして鳥居建の位置を決めたうえ、水平継材を取り付けて鳥居建を縦の方向に連結し、根固めコンクリートを打つたこと、継ぎ物の場合には下半分を組み立てたところで右のように中心を決め根固めコンクリートを打つたあとで支柱を継いで上半分をつくつたこと、このようにして組み立てた鳥居建支柱の上端を切りそろえてその上に笠木を載せたが、その際笠木の上側の面とガス管の下端とがほぼ接するように笠木を取り付けることとされ、笠木とガス管の間に隙間があくときは、そこにパッキングと呼ばれる調整用の木材を挾み込むなどして間を詰めることになつていたこと、なお笠木の太さについては、前記のとおり、東京ガスと交通局で定めた標準工法と、同局の標準図との間に食い違いがあつたが、鹿島建設では右標準図のとおり九センチメートル角の角材を用いて施行したこと、また鳥居建上端の笠木を取り付ける箇所における支柱丸太の間隔について、右交通局の標準図はガス管の内径が一〇センチメートル以上三五センチメートル未満で鳥居建の高さが四メートル未満の場合右間隔を四〇センチメートルとすることとし、鳥居建の高さが四メートル以上の場合には「管と受台との関係の詳細は四メートル以下の場合に準ずる」としていたことから、鹿島建設では本件ガス管の場合もこれを四〇センチメートルとするよう長野工業の鳶職らに指示して施工させたことがそれぞれ認められる。

さらに前記各証拠によれば、本件事故現場となつた場所及びその付近においては、昭和四三年四月半ばころから同年五月半ばころにかけて本件ガス管折損箇所を含む区間に一本物の鳥居建約三〇基が建てられたこと、これより巣鴨側で一工区との工区境までに継ぎ物二〇基の下半分が同年五月に、その上の部分が同年一〇月に組み建てられたこと、また右一本物約三〇基の志村側には尺角一八基が同年九月ころに建てられたことが認められる。この間並行して坑内への土砂埋戻も進められ、前記のとおり昭和四四年一月上旬に路面復旧がなされたあと二か月余りを経て本件ガス管が折損し、本件死傷事故に至つたのである。

二  鳥居建の傾斜、支点形成及び荷重等

(一) 鳥居建の傾斜

司法警察員石渡昭夫作成の昭和四四年三月二五日付写真撮影報告書(甲一4)、同田中正一作成の同月二九日付写真撮影報告書(甲一5)、同富田克已作成の写真撮影報告書二通(同月二九日付・甲一6、同年四月三日付・甲一7)、同木村運藏作成の同月一〇日付実況見分調書(甲一16)を総合すると、つぎの各事実が認められる。

前記のとおり、本件事故直後に現場の掘削が行われたのであるが、その結果、ガス管折損箇所から四三センチメートル巣鴨寄りの鳥居建の中心は海側にややずれており、山側の支柱丸太の真上付近にガス管が載つていたこと、折損箇所の志村寄り約八七センチメートルの所の鳥居建にはその頂部のほぼ中央にガス管が載つていたけれども、その笠木がガス管の直下で上方に向け約一一〇度の角度に開いて折れていたこと、さらにその志村側の三基の鳥居建が掘り出されているが、この三基の鳥居建の頂部はいずれも山側にずれており、海側の支柱丸太がガス管よりも山側に来ているうえ、笠木は大きく傾斜し、あるいは支柱丸太から落ちており、いずれもガス管からかなり離れており、ガス管支持の役割を全く果たしていなかつたこと、ガス管が山側支柱の真上付近に載つていた前記巣鴨寄りの鳥居建からなお巣鴨寄りの三基の鳥居建は、いずれも頂部が海側にずれていて山側の支柱がガス管よりも海側にあり、ガス管は笠木の端のところにわずかに載つているだけで、これらもまたいずれもガス管支持の役割を果たしていなかつたことが明らかになつた。捜査官は以上の八基の鳥居建に、志村側から順にA・B・C・D・E・F・G・Hのアルファベットの符号を付しているので、ここでも以下この符号によつて鳥居建を特定することとする。そうすると、折損箇所から四三センチメートル巣鴨寄りの山側支柱丸太の真上付近にガス管が載つている鳥居建はEで、志村寄りの笠木の折れた鳥居建はDであり、これより志村側で、頂部が山側にずれている三基はC・B・A、うち笠木が落ちていたのは鳥居建Cであり、また鳥居建Eより巣鴨側で頂部が海側にずれている三基がF・G・Hということになる。

そして、司法警察員浅野高之作成の昭和四四年九月二八日付実況見分調書(甲一14)によれば、同月一八日ころ、右鳥居建Hから巣鴨寄りになお約二五メートル掘り起こし、出て来た鳥居建に志村側から順次I・J・K……Uまでの符号を付したところ(前同様、鳥居建の特定のために以下これらの符号を用いることとする)、鳥居建Iは笠木が支柱丸太から外れていてガス管支持の役割を全く果たしていなかつたのであり、そのうえIからOまでの鳥居建はその頂部がいずれも海側に傾いて山側支柱がガス管の海側に来ていたほか、Q・Rの鳥居建も同様に海側に傾いて、ガス管の真下に山側支柱が来ている状態であつた(S・T・Uの三基の鳥居建の場合にはガス管の中心が両支柱丸太の間に来ていた)。すなわち、鳥居建のD・Eの志村側の鳥居建頂部は山側にずれ、巣鴨側の鳥居建頂部は海側にずれており、ガス管と鳥居建の頂部の列を上から見ると、鳥居建D及びEあたりを交点として、×字形に交叉するような状態をなしていたことが認められる。以上鳥居建AないしUの各頭頂部の実況見分時におけるガス管との位置関係は別紙二の図面記載のとおりである。

ところで、本件ガス管折損の時点での地中におけるガス管と鳥居建との位置関係は右掘削され、実況見分されたときのそれと同じであるか否かという問題がある。すなわち、証人久宝保は、「ガス管は掘り起こすと弾性分だけ戻つてしまうから、それが掘る前はどのような位置にあつたか分らない」と供述しているのである。また、右各実況見分調書によれば、掘削したあと、鳥居建A・B・L・Nなどでは、ガス管と笠木の間がかなり離れていることが明らかであるが、この点につき証人星埜和は、「掘り返したときに笠木とガス管の間はすいていたが、あれは掘つたあとでガス管に弾性があるので元に戻つたということが考えられ、ガス管が地中で笠木から離れていたことはないと思う」と同様の供述を行つている。

しかしながら、右各鳥居建の笠木とガス管の掘削時における離れ具合は非常に大きかつたのであつて、鳥居建Aの場合は笠木とガス管下端との間は一〇センチメートル(笠木の上にガス管の中心の真下からややずれてはいるがパッキング用の木材が載つており、その厚さは約五センチメートルであるから、パッキングからでも五センチメートルは開いている)、鳥居建Bの場合は、笠木上に載つているパッキングとガス管下端との間隔は一二センチメートルもあるのである。しかるに前記のとおり、本件ガス管は鋳鉄製であつてたわみ難い性質のものである。久宝保作成の鑑定書(甲一78)によれば、長さ四メートルの本件ガス管を支点中心間隔3.6メートルの二点で支え、その中央に荷重をかけて、たわみ量と荷重を測定する実験を行つたところ、たわみ量が三五ミリメートルになつたところで破壊したことが認められる。このような管が、これにかかつていた土圧を取り除くことによつて一〇センチメートルほども戻るということは考えられないところといわなければならない。ガス管の継手(以下これを「ジョイント」という)部分に、右のように荷重をとり除いたら元に戻ろうとする弾性があるか否かについて考えてみても、証人西尾宣明の供述及び東京ガス総合研究所発行にかかる「鋼管及び各種鋳鉄管の強度について」と題する書面によれば、本件ガス管のジョイントはG型継手と呼ばれる型のものであつて、ガス管が継手のところで曲がるのを防ぐことをとくに目的とした構造になつていないばかりでなく、実験による本件と同じ二〇〇ミリ管のG型継手は平均七度五〇分(最小四度三二分、最大一一度四分)曲がる可能性のあることが認められる。この点に照らし、東京ガスの研究員として長年にわたりガス管につき研究を重ねてきた同証人の「ガス管の継手を曲げてもそれが戻つたためしはない」との証言は、信用しうるというべきである。

また、右各実況見分調書によれば、本件ガス管は掘り出したあともD・E・F・G・H・J・K等多くの鳥居建の笠木の上に載つて、これと相接していたのであり、何故鳥居建A・B等の場合だけガス管の掘削を原因として弾性等によつて笠木から離れるに至つたかの理由を見出すのは困難であるといわざるをえない。ことに鳥居建A・Bについては、前記のとおり、その巣鴨側である鳥居建E・Dの間で本件ガス管は折損していたのであり、鳥居建Aのすぐ志村側でガス管が依然土中に埋まつており、このガス管の鳥居建Aのすぐ志村側と鳥居建Cの巣鴨側のところにはそれぞれジョイントがあつたのであるから、掘削して土圧等の荷重をとり除いたことを原因として、一〇センチメートルほどもガス管が弾性等により笠木から離れるとは考えられないのである。

以上を総合すると、掘削を原因としてガス管が弾性等により元に戻つたとの見解は採用することができず、本件折損事故発生の時点で、地中において本件ガス管と各鳥居建とは前記実況見分時のような位置関係にあつたものと認定するのが相当というべきである。

(二) 支点形成と荷重

本件ガス管折損箇所の状況は前記(第一・二(一))のとおりであつて、亀裂は管上部になるほど大きく開いていた。すなわち、該管を側面からみると、折損部を頂点として巣鴨・志村の両側に向つて下がつていく、への字型をなしていたのである。この点に、前記(一)の諸点を考え合せ、証人渡辺隆、同西尾宣明及び同重松通夫の各供述、久宝保作成の鑑定書(甲一78)を総合すれば、本件ガス管は、鳥居建AないしD、FないしIがいずれもガス管支持の役割を果たさなくなり、鳥居建Eが支点となつて、上部からの荷重が右支点の前後においてガス管を下方に押し下げたため、支点部分を頂点とするたわみを生じて該箇所付近のガス管中に大きな曲げ応力が発生し、管の弱点部に引張り亀裂が生じて本件折損に至つたものと認められる。そこでつぎに、ガス管に加わつた上部からの荷重は何であつたかについて、検討を加えることとする。

(1) 自動車荷重説

検察官は久宝保の鑑定所見に依拠して、本件ガス管に折損を生じさせた右の荷重は、自動車の荷重に起因する土圧であると主張している。右鑑定所見の要点はつぎのとおりである。

鑑定に際して行われた彎曲実験(前記のたわみ量と荷重を測定する実験)の結果、本件ガス管は一本(四メートル)に3.6メートルの支点間隙で荷重をかけたところ、この荷重が13.15トンに達したときに折れることが分つた。従つてこの管に13.15トンの力、すなわちガス管二本分にこの力が作用するとして、その受圧面積によつて求めると、一平方センチメートル当り0.73キログラムの力が加われば折れることになる。ところで、実験結果によると、14.5トン積みの自動車が走行すると、本件ガス管が埋設されていた深さの地中(ガス管上端で地表から1.2メートル、下端で1.426メートル)では、ガス管上端の所で一平方センチメートルあたり0.16キログラム、下端の所で同面積あたり0.10キログラムの力を及ぼすから、ガス管にはその差の一平方センチメートルあたり0.06キログラムの力が作用する。右のとおりガス管折損には一平方センチメートル0.73キログラムの荷重が加わればよいのであるから、これを0.06キログラムで除すると商一三を得る。すなわち14.5トン積みの自動車が一三台連続走行すれば本件ガス管は折損する。

右鑑定所見において自動車の台数を考えるのは、ガス管に働く自動車荷重は自動車が走り去つたあとも残り、これが蓄積されることを前提としていることが明らかである。しかし証人渡辺隆、同西尾宣明及び同保国光敏の各証言によれば、地中の埋設物に働く自動車荷重が蓄積されるということは科学理論上あり得ないことが明白であり、久宝保自身「荷重の蓄積を考えることは理論的に正しくない」とその証言中で認めているところでもある。もつとも同人は、「ガス管周辺の土は埋戻されてから圧密が進行中であり、路面を自動車が走行するとその荷重によつて圧密が行われ塑性変形(荷重が除去されても変形は残る)する。これがくり返されることによつてガス管付近の土砂の変形が累積し、そのためにガス管が折損に至るという説明のために荷重の蓄積が前提となるような計算を行つたのである」と証言しているのであるが、そうだとするならば同人は、自動車が通つて荷重が加わるたびに、土砂は各荷重の大きさが等しければ、等しい大きさの圧縮変形をすることを前提としていることになるわけである。ところが、「土質工学ハンドブック」(一三五ないし一三八頁)及び関係証拠を総合すれば、土砂にくり返し荷重が加えられて塑性変形する場合、最初に加えられた荷重によつて大きく圧縮され変形すると、その後等しい大きさの荷重がくり返し加えられても、最初のときほどの変形量は示さず、その圧縮変形の度合は漸次小さくなりほとんど弾性体に近い状態になるとの法則が存することが認められる。久宝鑑定人の計算は誤つた前提に立つて行われたものというほかはない。

検察官は「久宝鑑定人による計算は、あくまで計算の便宜上、圧密量の逓減現象を無視し、また荷重のすべてが埋戻砂を塑性変形させるものとの仮定の上で、一つの計算例を示したものにすぎず、これをもつて久宝鑑定所見の全てが誤りであるかのごとき批判をするのは失当である」旨主張しているのであるが、右計算は自動車荷重による土砂の変形が累積されてガス管を破損するに至つたという仮説の論証のため、現実にそのように大きな変形が自動車荷重によつて起こり得ることを示すことを目的としてなされたものと考えられるから、変形量に関する重要な要素である圧密量逓減の法則を捨象して計算例を示すことには何の意味もないのである。たとえば、圧密量が逓減することを考慮に入れるならば、どんなに多くの自動車が路上を走行しても、その荷重による圧縮変形量には限度があるということになるから、その程度の土砂の変形ではガス管折損に至らないということも十分にありうるわけであり、そのことを考えただけでも、右久宝鑑定所見は十分に論証されたものとは到底いえないことが明らかである。そのうえ、右鑑定書中の数値によれば、個々の自動車が路面を走行することにより地中の前記のような深さにあるガス管に及ぼす荷重はかなり小さいものと認められるから、これによる土砂の塑性変形を考えても、前記「土質工学ハンドブック」等の関係証拠に照らしてその変形量はさほど大きなものとはならないことが明らかであり、これのみでガス管を折損せしめたものとは考えられないのである。右鑑定所見にはその合理性に疑いの余地があり、採用することができないといわざるを得ない。

(2) 完全突出型土圧説

1 完全突出型土圧説の要点

これに対し、証人渡辺隆、同西尾宣明及び同保国光敏は、ガス管に働いた荷重の主たるものは完全突出型土圧であると述べており、その要点はつぎのとおりである。

ガス管上の土はガス管に対して力を及ぼしている。通常この力はガス管の真上の土の重力(垂直土圧)に等しいのであるが、地盤沈下が生じている場合、ガス管は鳥居建受防護によつて支持されているため沈下しないのに、管周囲の土が沈下するため、土は管を押し下げようとする摩擦力を与える。このとき、管はその直上部の土の重力のみならず、右摩擦力をも受けるから、この両者の荷重、すなわち非常に大きな完全突出型土圧を受ける。本件事故現場付近では地盤の沈下が起こつていたために、本件ガス管は右のように大きな荷重を受けたのである。

2 本件現場付近における地盤沈下

イ 埋戻と締固めの方法

そこで、右見解の適否について考察することとなるが、その前提として、本件事故現場付近で地盤の沈下があつたか否かについてまず検討を加えることとする。前記「ガス管復旧方法変更図」(押符一二号・甲二31)によれば、本件事故現場付近、測点一九二から同一九五にかけては、地下鉄構築から地表までの深さが七ないし八メートル余り、山側の土留杭から海側の土留杭までは約一一メートルであつて、土砂を投入して埋戻すべき空間は非常に深く、かつ広かつたことが明らかである。そして証人増田和弘、同末重雅敏、同細野光二の供述、前記「地下鉄工事請負契約書(その一)」(押符一号・甲二3)、青木啓造の検察官に対する供述調書(甲一182)、司法警察員千葉英〓ほか一名作成の捜査報告書(甲一92)を総合すれば、国道管理者たる国は、本件地下鉄工事の施行方法承認の条件として、埋戻土砂につき、一層の厚さを三〇センチメートル以下とし、転圧機を用いて締め固めることを求めていたこと、交通局も本件地下鉄工事請負契約の際、請負業者に対して「土木工事標準示方書」第一二〇条をもつて「舗装道路の掘削跡の埋戻は、……比隣路面下の地盤にゆるみを生じないよう施行し、厚さ三〇センチメートルごとに敷き均してランマー、またはコンパクターの類をもつて専任の作業員により、十分締固め……なければならない」との指示を行つていたこと、しかし、これらの方法をとることは、埋戻す空間が広いうえに埋設物もあるため困難であつたことから、三建事務所は埋戻土砂の締固めは水締めの方法によることとし、同事務所の職員が国道工事事務所の係官と交渉した結果その了解が得られたとの判断の下に工事を進めていたこと、鹿島建設の本件事故現場付近における埋戻は、夜間、ダンプカーで運ばれて来た山砂を、覆工板を剥いで投入するという方法で行われたこと、ダンプカー一台が積んで来る砂の量は五ないし八立方メートルで、これが四、五台分、多いときには一〇台分もが一か所に投入されたこと、このようにして坑内に落とされた砂はかなり高い山をなした(ダンプカー一台分の砂で1.5メートルほどの山となつた)が、翌日の昼になつてこの山を人夫がスコップでならし、水を流して水締めしたことがそれぞれ認められる。

ロ 本件現場付近における締固めの度合

右各証人の供述によれば、水締めの方法は、水をホースで砂の山に、表面がボチャボチャと飽和状態になるまで入れていたと認められるのであるが、証人渡辺隆の供述に基づき考察すれば、水締めというものは、もともと水の中に土砂を漬からせて砂と砂との間に空気が全くない状態をつくり出し、そうすることによつて砂を動き易くして砂の中の大きな隙間をなくするという締固め方法であるが、砂の山にホースで水をかける程度では右のように砂をすべて水中に漬けるまでには至らないものと考えられるし、そのような漬ける程度に至る水締めには大量の水を要するのであつて、そのような水の確保がそもそも非常に困難であると思料されるから、そのことだけでも、本件現場付近において十分な締固めはなされなかつたものと容易に推認することができる。また前記の本件工事記録(押符二六号・甲二58)によれば、本件埋戻に用いられた土砂は、東京都南多摩郡稲城町(現在同都稲城市)百村で採取された山砂であることが明らかであるところ、証人林誠作及び同畑中邦夫の各供述を総合すると、山砂、ことに右稲城町の砂は細粒部分が多く、水を含ませると軟弱化してふかふかの状態で残つてしまう傾向があり、締固めにくいことが認められる。さらに右林誠作の証言、「東京ガス板橋区仲宿ガス爆発事故現場の砂埋戻層の円錐貫入試験結果について」と題する書面二通、第四九回公判において取り調べた地図四枚及び東京都知事の昭和四〇年七月一日付公益企画者あて「道路の占用に伴う工事の施行について」と題する書面(通達〔四〇建道路発第四五号〕)を総合すれば、本件事故の四日後と、六か月後の二回、事故現場付近で埋戻土の締固まりの度合を調べる「土研式貫入試験」と呼ばれる試験が行われたこと、これは貫入棒の先に先端の角度が六〇度、底面の直径が三センチメートルの円錐をとりつけ、貫入棒をドロップハンマーで叩くことにより円錐を地中に貫入し、円錐を一〇センチメートル降下させるのに必要なハンマーによる打撃の回数(N10)をもとに締固まり具合をみるもので、本件事故現場付近における右二回の試験はいずれも、地表から2.7メートルの深さのところから一メートル下方まで円錐を降下させるのに要した打撃の回数を数え、これを一〇で割つて、平均のN10の値を算出し、これをK30=12.1log N10−7.0の数式に入れて出したK30の数値(これは平板載荷試験と呼ばれる試験による支持力係数に相応することが実験上確かめられ、右係数として扱われている)によつて締固まりの程度が測られたこと、事故の四日後の試験では現場付近九か所で右のような貫入が行われたが、うち本件ガス管の所で行われた五か所での右K30の数値は、1.6(キログラム/立方センチメートル。以下この単位を省き数値のみで論ずる)、2.6、4.8、3.4、0.4であつて、東京都の右通達では、道路埋戻復旧工事の検査において、平板載荷試験の支持力係数が路床面で4.5以上なければ合格とされないのと対比して一箇所で右合格の数値をこえただけで他は大幅にこれを下回つていたこと(なお右のとおり東京都の通達では路床面の締固め具合を検査対象としているのに対し、本件事故現場付近の試験は前記の深さのところ、すなわち路床の下の路体部分について行われたことが明らかであるが、路床も路体もともに道路舗装体の下方にあつて路面荷重を支持する部分であり、証人林誠作の述べるとおり、本件試験結果を右通達の基準に照らしてみることに何ら不都合な点は存しないというべきである)、右通達ではまた円錐貫入試験の貫入度(これは二〇を前記N10の数値で除した商である)による基準を設け、0.9以上1.2未満を普通、1.2以上1.8未満を不良、1.8以上をきわめて不良としているのに、右五か所の貫入度は、最も小さいところで2.2、大きいところでは五にも達していることがそれぞれ認められるのであつて、以上を総合すれば本件ガス管埋設箇所における埋戻土砂の締固めはきわめて不十分であつたということができる(ただし前記のとおり本件事故の六か月後に本件ガス管の周辺二八か所で同様の試験がなされたところ、前記K30が4.5をこえたところが九か所あつたなど、締固まりの程度がよくなつていたことが前記各証拠によつて認められる)。なお、証人新本宜威の供述によれば、測点一九四プラス一〇から同一九五の間で、路面復旧・仮舗装に際し、砂をブルドーザーで敷きならしたあとローラー輾圧を行い、その上に砕石を敷きならしたうえ、マカダムローラーとタイヤローラーで輾圧し、そこで砕石下の砂の層の上から一〇センチメートルのところから一〇センチメートル下方に円錐貫入試験を行つたところ、N10は、それぞれ一九、二〇、二〇であつたことが認められ、貫入度は1ないし1.1になるわけであるが、これは路面近くの舗装体につき輾圧直後にこれが十分であるか否かをみるため行つたもので、前記事故後の二回の試験とは時期、対象及び目的を異にしているのであり、この結果をもつて右の締固め不十分との認定を左右することはできない。

ハ 振動と地下水位回復による沈下の促進

そして証人渡辺隆の供述によれば、ゆるい砂は外的刺戟を受けたとき、砂粒子の間隙が減つて沈下を生じること、そのような刺戟として影響が大きいのは振動であることが認められるところ、前記のとおり、本件地下鉄工事においては覆工板や覆工受桁の撤去後、側杭や中間杭を引き抜く作業が行われたのであるが、その際、杭の一本一本について、それぞれ二〇ないし三〇秒の間振動をさせ、杭と土との摩擦を小さくしたうえで引き抜くのであり(証人大川雅三の第七七回公判供述)、そのため杭周辺の地盤はかなり沈下したものと考えられる(渡辺隆の証言、「猿江貯木場護岸工事に伴う振動調査報告書」と題する書面〔弁A21〕)。また地下鉄の電車が走行すると、その振動自体さほど大きくはなくとも、地下鉄構築を振動させ、埋戻土砂の底から全体的に地盤を振動させるのであつて、その影響はかなり大きく、ことに鳥居建は地下鉄構築上に直接載つていて、地下鉄の振動を上部に伝える作用をするから、鳥居建周辺の土砂をとくに振動させたものと考えられるところ、本件事故地点を含む区間では、昭和四三年一二月一日から営業運転に近いダイヤで地下鉄の試運転が開始されたことが認められ(「6号線((志村巣鴨間))開通関連工程表((案))」と題する書面写し〔弁B55〕、「6号線地下高速電車巣鴨駅〜志村駅間運転士の新線訓練実績表」と題する書面写し〔弁B56〕、「都営地下鉄6号線列車ダイヤ」と題する書面写し〔弁B61〕、「6号線訓練ダイヤ」と題する書面写し〔弁B62〕)、埋戻終了直前のころから地下鉄電車の通過による振動が始まつて、その影響で埋戻土砂、ことに鳥居建周辺の土砂が相当程度沈下したものと容易に推認することができる。さらに舗装工事の際のローラーや振動機などによる振動及び路面開放後の自動車走行による振動によつて地表面近くの土砂が沈下したことも考えられる。さらに、前記の本件地下鉄工事記録(押符二六号・甲二58)及び「都営地下鉄板橋工区建設工事のうち第二工区排水計画のための揚水試験報告書」と題する書面写しに証人保国光敏の供述を総合すれば、本件事故地点付近ではもともと地表面から約三メートル下あたりまで地下水がきていたのであるが、本件工事中は排水装置(ウエルポイント)によつて地下水位を下げていたのであり、工事が終了して本件事故前の時点で右装置の運転を止めて地下水位を再び以前の高さまで回復させたことが認められる。このように地下水位が上つたところでは、埋戻砂は間隙が水で満たされて動き易くなり、振動に対して敏感になつて沈下しやすい状態になつたものと考えられる(前記渡辺、保国両証言)から、以上の諸情況に、本件事故後の掘削の際、本件ガス管の下に手掌が入るくらいの空洞があつたと認められること(証人柴山清の供述)を考え合せると、本件事故現場付近の埋戻土砂が沈下を起こしていたものと認定するのが相当である。

3 完全突出型土圧説と実験による裏付け

証人渡辺隆及び同西尾宣明の各供述、「土質工学ハンドブック」抄本(八五五頁ないし八六三頁)、通商産業省公益事業局ガス課作成の「ガス導管防護対策会議報告書」、「ガス導管防護対策会議資料」(Ⅰ)及び(Ⅱ)を総合すれば、右のように地盤沈下が生じている場合、その地中にあるガス管等の埋設物が非常に大きな突出型土圧を受けることは、マーストンら権威ある学者の説く土質工学上の科学法則であることが認められ、また、本件事故を契機として通商産業省公益事業局の働きかけで、道路・土木に関する学識経験者、道路管理者及び地下埋設物管理者を委員とするガス導管防護対策会議が同局に設置された(その目的はガス事業者以外の者によつて行われる工事に係るガス管の防護方法等及びガス管の共同溝の利用に関する技術的問題について調査審議することにあつた)が、同会議で、幅三メートル、長さ六メートル、深さ三メートルの試験槽に、二〇〇ミリガス管を1.3メートル間隔で立てた受防護五基で受ける形に置き、底から七三センチメートルの深さに砕石を敷き、その上一五センチメートルの厚さに硫安を入れ、その上に一メートル八二センチの深さに山砂を入れたうえ表面を三〇センチの厚さに舗装し(舗装の表面からガス管までは1.5メートルとした)右硫安を水で溶かして地盤沈下を起こさせて(地盤の沈下量は最終的に約一〇センチメートルと観測された)、ガス管及び受防護に加わる土圧及び荷重を測定する実験を行つたところ、受防護にかかる土荷重は、沈下前のそれを一とした場合、沈下時において3.37にのぼり、その後試験槽の壁に沿つてシートパイルを打ち込んで一五時間放置したうえで測定したときには2.72となつたこと、またガス管にかかつた路面の静荷重は沈下前のそれを一とすると沈下後には2.768にものぼつており、沈下後にガス管にかかつた土圧と路面静荷重の和は沈下前のそれの2.9倍に達し、これらこの実験で得られた数値はマーストン・スパングラーによる完全突出条件の場合の土圧の計算式によくあてはまることをそれぞれ認定することができる。

右のとおり、完全突出条件のきわめて大きな土圧が働いたとの考えは実験によつても裏付けられていて、十分な合理性が存するというべきである。検察官は右ガス導管防護対策会議の実験結果は、瞬時強制的に一〇センチメートル沈下させるという特定の条件下において得られたものにすぎず、長時間をかけて、何層にも分け、水締めをしながら埋戻し、下方の土から順次圧密が進行してゆく状態にあつた本件現場において、最終的に埋戻しが完了し、路面復旧をした後二、三か月を経過してから右実験の場合と同様の現象が生じ得るかは常識的にみても相当に疑問があると主張しているのであるが、本件事故当時未だに埋戻砂の圧密が進行中で、それに伴つて沈下が各所に起こつていたことは、前記久宝鑑定所見に即して自動車荷重説を主張するに際し、検察官の承認しているところであり、沈下が起こつているならば、その沈下が長時間かけて進行したものであれ、人為的に短時間のうちに起こされたものであれ、ガス管にきわめて大きな土圧を及ぼすことがあり得る点で変りのないことは、その理論的根拠がガス管周囲の土の沈下に伴う摩擦力が加わるということに存することに照らして明らかであつて、検察官の右主張は失当というほかないのである。また検察官は、西尾証言によつても、マーストン・スパングラーの完全突出型土圧公式は二〇〇ミリ以下のガス管に対しては適応しないことが実験上判明しているもので本件には妥当しないものといえる旨主張しているが、西尾証人は、実験してみたところ、二〇〇ミリ管径のガス管で1.2メートルの埋設の深さという、本件現場のような場合に、マーストンの完全突出条件の式に値がよく合つたが、それよりも小口径のガス管の場合にはマーストンで計算するよりも相当小さい値でよいことが確かめられたと証言しているのであつて(第六六回公判調書・速記録五六七四丁表・裏)、右主張は誤解にもとづくものであることが明らかである。なお、証人久宝保は、検察官の主張するとおり、ガス管のように撓み性のあるものに完全突出型土圧公式を使うべきではない旨供述しているのであるが、同証人は、従前学界においてガス管の受防護についても突出条件を考慮すべきであるとの考えはなかつたし、同証人自身もガス管に右公式をそのまま適用することには反対であるけれども、かなり大きい力がガス管に働くことのありうることを設計に当つて考慮した方がよいという程度にこれを使うべきであると述べているのであつて、沈下中の土には右公式に示すような作用をする傾向、性質のあることは肯認しているのである。

(3) ガス管に働いた荷重に関する結論

以上を総合すると、本件ガス管には従前学界などで考えられていた自動車荷重等の路面荷重及び垂直土圧のみならず、これらより数倍大きな完全突出型土圧が働いた蓋然性が存すると合理的根拠をもつていうことができ(なお、前記のとおり、ガス導管防護対策会議の実験によれば、地盤沈下が生じたあとのガス管にかかる路面荷重も、沈下前の数倍になりうるというべきであり、本件ガス管にこのような力が作用したとも右同様にいうことができる)、右のような従前考えられていたものに比して過大な土圧が本件ガス管に作用する高度の蓋然性があつたものと認定せざるを得ないこととなる。そして証人西尾宣明の供述によれば、前記ガス導管防護対策会議の実験によつて得られた数値をもとに、土圧、ガス管の自重、路面を走る自動車の荷重等を合計して直径二〇〇ミリメートルのガス管に生ずる応力を計算すると、連続した三基の鳥居建(例えば前記ED付近のものを想定する)がガス管を支持しなくなつた場合、すなわち鳥居建と鳥居建の間隔は約1.3メートルであるから5.2メートルの間ガス管を支持する受防護が存しない(スパン5.2メートル)場合、両端に支点を想定するとガス管に生じる応力は一平方センチメートルあたり1399.5キログラムとなり、ガス管の圧壊強度をガス管の強度のばらつきを考えて低目の一平方センチメートルあたり二〇〇〇キログラムととると安全率は1.4にしかならず、荷重の見積り方、ガス管の強度によつては若干危険というべきところとなる。またスパン六メートルの場合にはガス管に生ずる応力は一平方センチメートルあたり二一二八キログラムとなつて、安全率は一を割つてしまうことが認められる。この数値に、事故直後に掘り起こされた際の本件ガス管と鳥居建の前記の状況を考え合せると、以上のとおり埋戻土砂の沈下によつてガス管に働いた過大な荷重により本件ガス管が折損するに至つたものと認定することができる。

(三) ガス管中の「す」の存在と本件事故との関係

(1)すの存在とガス管強度の低下

久宝保作成の鑑定書(甲一78)によれば、本件折損にかかるガス管は鋳鉄製で、管の外径が226.05ミリメートル、管厚が平均11.2ミリメートルであつたが、折損した箇所には管の頂点から約一〇センチメートルの位置に、長さ約一六ミリメートル、幅約八ミリメートルの小指の先が入るくらいの大きさのす(空隙)があつたことが明らかである。証人久宝保の供述によれば、すがあるとその箇所の強度は低下するのであり、そのような弱点のある箇所が折損部位となつたものと認められるが、同証人はさらに、「すがなければ事故が起こつた可能性は二〇パーセントくらいである。すがなかつたら自動車が通過して相当のちに折れたということもありえたと思う」と、すのない場合の事故の可能性はかなり小さかつたであろうとの見解を述べている。証人保国光敏は、すの存在との関係で、本件折損の原因のひとつにガス管の疲労による強度低下があるとし、その根拠として、平素から過大な土圧が本件ガス管にかかつていたところへ、路面の自動車交通が非常に激しく、ガス管がくり返しその自動車荷重を受けたのであるが、地盤沈下が生じていたため自動車荷重は通常の場合よりも大きくガス管に伝達される状態にあり、しかも右沈下による路面の凹凸のために自動車荷重は衝撃を伴つて大きなものとなつたところ、右のすがガス管に存在したことにより、ガス管の鋳鉄が通常よりも小さな荷重のくり返しによつても疲労をきたすような状況にあつてその強度は五割程度低下していた旨証言している。東京コークス株式会社発行の「コークダイジエストー―一〇七号」二五頁写しによれば、鋳鉄の場合には鋼鉄に比べて部材に切欠きがあつても金属疲労によつて強度の落ちる割合はかなり低いと認められるけれども、全くこれがないというわけではなく、前記のとおり本件ガス管が常に過大な土圧を受けていたことを考えると右証言のような金属疲労による強度低下を考える余地もあると認められ、いずれにしても本件ガス管はすのために、その強度が低下していたものと認定することができる。ただ、右両証人は「二〇パーセント」「五割程度」と強度低下の程度を示す数字を挙げているのであるが、いずれもこれにつき特段の根拠を示していない。しかし他方すの存在の本件事故への寄与の程度を根拠のある数字で示そうとの試みが西尾宣明及び石川陸男の両証人によつてなされているので、以下これらについて検討を加えることとする。

(2) 強度低下の度合算定の試み

1 証人西尾宣明の実験

証人西尾宣明は、「本件ガス管と同種の二〇〇ミリG型鋳鉄管四本について、そのうち二本にそれぞれ直径23.45ミリメートルの円形のせん孔を施し、せん孔部を下にしてそれぞれ上方から折損に至るまで荷重を加え、荷重とガス管の変化との関係、曲げモーメントとガス管に生じたひずみとの関係を測定し、他方せん孔を施さなかつた他の二本についても同様に荷重をかけ右の各事項について測定したうえ、これら測定結果をせん孔のある管とない管について比較したところ、破壊荷重はせん孔のない管の場合平均一四五八五キログラム、せん孔のある管の場合平均一〇七七五キログラムであり、破壊係数(一平方ミリメートルあたりキログラム)はせん孔のない管では平均23.02、これがある管で平均15.93であつたから、ガス管の強度はせん孔があることによつて約七〇パーセント(15.93を23.02で除した商0.692)に低下したことが分かつた。本件のすがあることによる強度変化は右せん孔のある場合と類比して考えることができるのであるが、すは右のせん孔と対比すると、貫通していない点及び大きさも縦一六ミリメートル、幅八ミリメートルで右せん孔よりも小さい点で異なつており、貫通している方が一般に強度は低くなり、また穴の径が小さい場合、応力集中は一般的により大きくなるが、穴から離れるに従つてより急速にこれが小さくなるから、すのある本件ガス管の方が右せん孔のある管ほどには強度低下していないと考えられ、また本件の管ではすの位置が管の頂上より一〇センチメートル横にずれているため、すにかかる荷重はかなり少くなるので、その強度はほとんどすのない場合と変らないのではないかとさえ思われる」と供述している。

しかしながら、右実験については、本件のすと類比するにしてはせん孔があまりに大きいという問題が存するうえ、実験方法を仔細に検討すると、せん孔のある管については支点間隔2.8メートル及び2.6メートルで荷重を加え、せん孔のない管には支点間隔を三メートルと長くとつて荷重を加えていること、各管について曲げ強度を計算してみると、孔のある管のそれは一平方ミリメートルあたり34.4キログラム及び34.2キログラムであるのに対し、孔のない方の管のそれは22.71キログラム及び23.33キログラムとなること、すなわちこの実験は曲げに強い管に孔をあけ、曲げに弱い管に孔をあけないで行つたことになること、孔のある管について実験結果の破壊係数の右曲げ強度に対する割合をみると、それぞれ0.471と0.458となるのであつて、孔をあけなかつた場合の半分以下となることをそれぞれ指摘することができるのである。そして西尾証人自身が、欠損部分があつて応力集中が起こることによる強度低下の程度は、該欠損部分の形によつて異なり、実験のように円形の場合には他の形の場合よりも強度低下が小さいと供述していることを考え合せると、右実験結果にもとづいて本件ガス管中のすと本件事故の関係につき西尾証言のような結論を導き得るかは大いに疑問であり、右証言はにわかに措信しえないものといわなければならない。

2 証人石川陸男の計算

これに対し、証人石川陸男は、前記のとおり鳥居建Dの笠木が破損していることから、これを破損せしめたと同じ大きさの土圧が、本件ガス管に働いてこれを折損させたものと考え、これとすのない本件と同種のガス管を折損するに要する荷重とを対比して、すの影響を検討した。すなわち、一般的な松角材の強度をもとにして笠木Dを折損した力を六トンとし、笠木Dの位置にそれだけの力が加わつた際の鳥居建E上におけるガス管の応力度を算出したところ、一平方センチメートルあたり九四八キログラムの値を得た。笠木の破損に要した力をもつと大きくとり、これが一〇トンであつたとしても、その場合の鳥居建E上におけるガス管の応力度は一平方センチメートルあたり一五七四キログラムとなる。これは久宝鑑定書にある本件鋳鉄管の破壊強度、一平方センチメートルあたり二六八〇キログラムないし三〇九〇キログラムと比較するとまだかなりの余裕がある。つまり、笠木Dを破損せしめた土圧では通常なら本件ガス管折損には至らなかつたのであり、これが折れたのは、ガス管にすがあつたからだと推認することができると証言している。

右証言の数値によれば、本件のすが存在したことにより本件ガス管は、通常これを折損しうる力の三一パーセン卜(九四八キログラムを三〇九〇キログラムで除した商)ないし五九パーセント(一五七四キログラムを二六八〇キログラムで除した商)の力で折れてしまつたということになる。しかし石川証言を検討してみると、同証人は、鳥居建A・B・C(及び破損後は)Dはガス管を支持していなかつたが、他の鳥居建はすべてこれを支持していたとしてガス管応力度を計算しているのである。前認定のとおり、鳥居建F・G・Hもいずれもガス管を支持していなかつたのであるから、石川証人は実際よりもスパンの短い場合の応力度を算出したことになるのであつて、鳥居建E上のガス管応力度は同証人の算出した数値よりも大きい筈だということになる。もつとも、同人の証言によれば、鳥居建Eの上でガス管にかかる応力度は最大となるわけであり、前認定のとおり本件折損箇所は鳥居建Eから四三センチメートル志村寄りであつて、そこではガス管に生じている応力度は鳥居建Eの上でのそれよりは小さくなるから、本件すの影響を考究する目的からすれば、石川証人はもともと過大な数値を算出していたのであつて、その過大な分を差し引けば、同人が前提としたよりもスパンはもつと長かつたとし、それだけ応力度をもつと大きかつたと修正しても、結局同証人の算出した数値とさほど大きな違いはないことになるものと考えられる。

また、石川証人は前記のとおり鳥居建Dの笠木を折つたのと同じ大きさの土圧がガス管に作用してこれを折損したことを前提としているのであるが、Dの笠木が折れると同時もしくはそのすぐあとにガス管が折れたとするならば同証人の述べるところは相当だといいえても、Dの笠木が破損したあと相当期間を経過してガス管折損が生じたのだとすればやや問題が残るといわなければならない。証人西尾宣明の供述によれば、本件のような沈下の起こつている地中においてガス管の受ける土圧は、ガス管の上の土砂がしまつて、その密度が増加すればするほど大きくなることが認められるから、笠木Dの破損後に本件ガス管の上の土砂の圧密が進行したとすれば、右笠木の破損時にガス管に働いたよりももつと大きな土圧がガス管折損時にこれに加わつていたことになるからである。そこで右笠木の破損とガス管折損の時間的関係について検討すると、証人久宝保は「笠木が破損するためにはガス管がかなり動かなければならない。したがつてガス管が折れたために笠木に荷重が集中し、ガス管も動ける状態になつたので笠木が折れたとも考えることができる」と供述してはいるものの、鑑定書において同人は、「笠木の彎曲破壊強度を一平方メートルあたり七六〇キログラムとして、10.371トンの荷重で折損するが、ガス管の彎曲試験結果の13.15トンよりは小さく、ガス管破損時より前にDの笠木は折れたものといえる」と述べていたのであり、証人西尾宣明もDの笠木が折れてガス管を支持しなくなつたときの方がE点付近の応力が大きくなると供述していることに照らして、笠木の破損が先に生じたと認めるのが相当であるというべきである。そして同証人が「Dの笠木の破損により管に対する土圧の状態が急に変つて衝撃的な状態となつたためガス管が折れたということは十分に考えられる」と証言しているとおり、笠木破損後さほどの時間を経ずにガス管折損が生じたと認定する余地は十分にあり、そのような事態を前提としてなされた石川証人の計算には合理的根拠があるといわなければならない。本件すの存在により、ガス管は、すのない管の場合の半分程度の力で折れた可能性があることは否定し得ないのである。

3すの存在と本件事故における因果関係

被告人吉村及び同築山の弁護人は、本件ガス導管の折損は、右被告人らの行為に基づくものではなく、かつ、経験則上、当然に予想しえない、すの存在という偶然の事情が介在したことによつて発生したものであるから、被告人らの行為と本件ガス導管の折損との間の因果関係は存在しないと主張しているのであるが、前記のとおり鳥居建一基だけが支柱丸太の真上にガス管を載せ、その前後は鳥居建が三基及び四基それぞれ連続してガス管を支持していないという支点形成の状態が、すのない通常の鋳鉄管にとつても折損等によりガス漏出に至る高度の可能性の考えられる危険なものであることは、前記(二)(3)の計算結果等関係証拠によつて優に認められるところであるから、右すの存在によつて右支点形成状態と本件折損ないし死傷との間の因果関係は何ら損われるものではないというべく弁護人の右主張は失当である。

三  ガス管折損の原因

以上を要するに、本件ガス管は、鳥居建Dの笠木が破損し、AないしC及びEないしIの各鳥居建がいずれも傾斜移動してガス管支持の役割を果たさなくなつたため、鳥居建Eの笠木の上が支点となり、そこに土砂の沈下に伴うきわめて大きな土圧と自動車荷重等が作用し、ガス管のE点付近にすがあつて、そこはガス管強度が半分ほども低下していたことにより、その箇所でガス管が折損するに至つたものと認められる。

第三  鳥居建傾斜の原因

一  鳥居建傾斜の態様

(一) 鳥居建の傾斜・移動量

本件ガス管の各鳥居建の施工にあたつては、前記のとおり、ガス管から水糸を垂らすなどして、ガス管の中心の真下に鳥居建の中心がくるよう、配慮して建てられたものと認められるのであるが、押収してある写真一枚(押符五五号)は、写つている側杭に記された番号や鳥居建の丸太材等の形状の特徴に照らして、本件事故現場付近の鳥居建ABCD等を含むこれらの前後数十基を志村側から巣鴨側の方向に撮影したものであることが明らかであるところ(証人沖津明、被告人築山の各公判供述)、そこに写つている鳥居建はいずれもその中心がガス管の中心の真下にくる状態に、整然と立ち並んでいるように見られる。この写真は、鳥居建にまだ根固めコンクリートが打たれていない状況が写つている(被告人築山の公判廷供述)から、鳥居建が建てられて間もない時点で撮影されたものと考えられるところ、証人吉岡善秋の供述に、長野工業の「作業日報」綴り(押符一八号の五・甲二46)を総合すると、右の写真の鳥居建は昭和四三年四月から同年五月にかけて建てられたと認められ、さらに押収してあるアルバム(押符七一号)の八頁のフイルム及びその拡大写真三枚(押符九八号)によると、押符五五号の写真の前に撮影された写真に写つている暦は同年五月二九日を示しているから、同号の写真はそのころに撮られたものであると認められる。すなわち、本件事故現場付近の鳥居建は、同年五月末ころ、ガス管中心の真下に中心が来るよう整然と並んで建てられていたものと認定することができる。

ところが、事故後に掘り起こしたところ、現場付近の鳥居建の多くは前認定のとおりきわめて大きく傾斜していたのである。司法警察員木村運藏作成の実況見分調書(見取図No.6)(甲一16)によれば、鳥居建Aの海側支柱の中心は、ガス管中心から四〇センチメートル山側へ来ていたことが認められ、前記のとおり、鹿島建設では、鳥居建上端における支柱丸太の各中心間の間隔を四〇センチメートルとして施工するよう指示していたから、右海側支柱はその中心がもとガス管中心よりも約二〇センチメートル海側にあつたと考えられるのであり、従つて同支柱は当初建てられた位置から右両方の距離の和である約六〇センチメートル山側へ移動したものということができる。同様にして、鳥居建Aの山側の支柱は約三二センチメートル、鳥居建Bの海側支柱は約六七センチメートル、山側支柱は約四七センチメートル、鳥居建Cの海側支柱は約三九センチメートル、山側支柱は約二六センチメートルそれぞれ山側へ移動したものということができる。逆に鳥居建Fの山側支柱は約四五センチメートル、海側支柱は約三二センチメートル、鳥居建Gの山側支柱は約四〇センチメートル、海側支柱は約二五センチメートル、鳥居建Hの山側支柱は約四三センチメートル、海側支柱は約三五センチメートル、いずれも海側へ移動したものと推認することができる。

被告人吉村及び同築山の弁護人は、支柱間隔の中心とガス管の中心とは合致せずずれがあるのが常態で、このことはガス管の管理者からも許容されていたのであり、右のような計算によればこのずれも横移動量に含まれてしまい、実態と大きく遊離する、また実際の施工において支柱間隔をすべて四〇センチメートルとすることは実際上困難で、そうなつていなくとも許容されていたのであり、このような数値を出発点とすることは誤りである、また鳥居建A・B・J・Kには方杖が取り付けられていたが、その時点においてその余の付近の鳥居建はガス管を二本の支柱丸太の間で支持し格別傾斜変形していなかつたことが認められるから、その時点以降において各鳥居建がどれだけ移動したかを算定しなければ意味がないものであるところ、右の計算によれば方杖の付された右四基の鳥居建については方杖取付前の横移動量まで含まれてしまう結果になるとして、右のような推認をすることに反対をしている。

たしかに鳥居建は、標準図の数値と寸分違わぬ寸法で仕上げられ、厳密に位置が定められることを要求されていたわけではなく、またそのように建てることが容易になされ得るものでもないことは関係証拠に照らして明らかである。しかしながら、各鳥居建の建設に当つては前認定のとおり、ガス管から水糸を垂らしてガス管と鳥居建の各中心を合わせるように留意されたのであり、前記のとおり押符五五号の写真によれば、各鳥居建両支柱の中心はガス管中心のほぼ真下に来ているものとみられる。また右の写真によれば、各鳥居建上端の支柱間隔は同じ長さに整えて揃えられており、いずれも所定の四〇センチメートルになるように計測されて建てられたものと優に推認されるのであつて、鳥居建により若干のずれが存したとしてもその誤差は数センチメートルに亘ることはない僅かの程度に止まると考えられるのであり、前記の計算によつて厳密な移動量の確定はできないとしても、おおよその移動の姿を把握するに足りる数値は得られるものというべきである。弁護人は鳥居建A・B・J・Kに方杖が取り付けられた時点でその余の付近の鳥居建が傾斜変形していなかつたことを前提としているのであるが、後記のとおり、そのようには認め難いのであり、またこの事実が認定しうるか否かの検討のためにも、各鳥居建につき建てられた時点から事故発生時に至るまでの移動量の推認をすることに重要な意味があるといわざるを得ず、弁護人の右の主張は失当である。

(二) 埋戻中の鳥居建傾斜

検察官は、右のようなAないしC、FないしKの各鳥居建(これらを以下「本件各鳥居建」という)の傾斜移動は、埋戻の過程でそのほとんどが生じ、埋戻終了後にも移動が加わつて各鳥居建がガス管から完全に外れたがその埋戻終了後の移動量はきわめて微量であると主張し(検察官はこの段階においては鳥居建は「若干の」傾斜変形をしたに止まるともいつている)、被告人早川及び同小原の弁護人はほぼこれに同調するが、これに対して被告人吉村及び同築山の弁護人は、埋戻終了前には方杖の付された鳥居建A・B・J・Kのみが傾斜移動していたのであり、右四基の方杖取付後の傾斜移動及びその余の本件各鳥居建の傾斜移動はすべて埋戻終了、路面復旧後に生じたものであると主張している。以下この点の検討に移ることとする。まず、埋戻中の鳥居建傾斜を推認させる諸情況を列挙すれば、つぎのとおりである。

(1) 第二工区における鳥居建の傾斜とその補正

証人増田和弘、同後藤清蔵、同工藤統一、同斎藤延、同橋間隆夫の各供述、被告人築山及び同小原の各公判廷供述、押符一七号の一六・甲二43の「作業日報」、「都営地下鉄六号線立会い及び巡回記録簿」と題する書面(押符二三号・甲二53)を総合すると、本件地下鉄工事板橋工区の第二工区内において、埋戻が進められている段階で、つぎのような鳥居建の傾斜とその補正が行われたことが明らかに認められる。

1 昭和四三年八月ころ、測点一九二付近で、継ぎ物の鳥居建の下の方二基が海側に傾いてガス管から外れるくらいになつていたので砂を掘つてロープで引いて傾きを直した。

2 同年九月一六日ころ、鳥居建P付近で二基くらいと、鳥居建Aから三基ほど志村寄りの付近で一基くらいの鳥居建が、いずれもガス管から一五センチメートルほどずれていたので掘り返し、鳥居建にワイヤーをかけ、これをウインチで引き起こして直した。

3 昭和四四年一月二一日ころ、測点二〇〇付近で、鳥居建二基くらいがガス管から外れるほど傾いているのが発見され、同年二月ころまでに鳥居建の上の部分を切りとり、下の部分が入つている埋戻砂の上にコンクリートを打ち、そのコンクリート上に鳥居建を建て直した。

右のとおり、埋戻進行の過程で鳥居建がかなり傾斜した事例があつたのである。

(2) 方杖の存在

司法警察員木村運藏作成の昭和四四年四月一〇日付実況見分調書(甲一16)及び同浅野高之作成の同年九月二八日付実況見分調書(甲一14)によれば、鳥居建A・B・J・Kの四基には、いずれも支柱丸太一本の外側に方杖が取り付けられ、方杖の上端と支柱丸太の上端に笠木を載せて渡し、これでガス管を受けるようにされていたことが明らかである(なお方杖は本件公訴事実にもあるとおり「添木」とも呼ばれており、以下供述の引用の際にはこの語が用いられていることもある)。右のようにして方杖を付ける必要があつたのは、これらの鳥居建支柱が傾斜・移動して、両支柱の間でガス管を受けることができなかつたからであると考えるほかはないのであつて、被告人吉村は鳥居建A・Bについてであるが、「ガス管が海側丸太の上かその程度のところにくる状態になつていたから方杖を付けた」と公判廷において供述しているけれども到底信用することができない。

そして、押収してある笠木五本(押符三三号、三四号、四〇号、四五号、四六号・甲三4、5、14、19、20)、方杖四本(押符三六号、三七号、四二号、四八号・甲三7、8、16、22)、司法警察員富田克己作成の昭和四四年三月二九日付写真撮影報告書(甲一6)、検事広畠速登作成の昭和四五年五月二〇日付実況見分調書(甲一15)、検事飯田英男作成の同年七月一六日付写真撮影報告書(甲一17)、被告人早川の公判廷供述に前記甲一14及び甲一16の各実況見分調書を総合するとつぎのようにいうことができる。鳥居建Bは掘削されたときの方杖と両支柱丸太との間隔と笠木の長さを比較して、笠木を両支柱丸太と方杖の三点上に載せることがそもそも不可能であるうえ、笠木に残つている釘の状態からみて、これは二か所で止められていたと考えられるし、笠木の下側の面には、支柱丸太の頭に笠木が押しつけられてできたと認められる丸い圧迫痕が一つと、方杖に押しつけられた跡と認められる四角形の圧迫痕がみられるだけであるから、笠木は支柱丸太一本と方杖の上に載せて取り付けられたのであつて、支柱丸太二本と方杖との三点で支持されるような形状ではなかつたことが明らかである。また鳥居建Aについても、笠木の長さはこれを方杖と両支柱丸太の上に載せられないほど短くはないけれども、笠木に残つている釘の状態からこれが二か所で止められたものと考えられること、笠木の下側の面の圧迫痕の状況が鳥居建Bの場合と同様であることから、やはり支柱丸太一本と方杖の二点のみで支持されるように付けられていたことが明らかである。鳥居建Kについても笠木の下側の面の圧迫痕に照らして、同様の取り付け方がなされたものと認められる。以上のように、支柱丸太二本と方杖の上に笠木が載せられる、いわば三点支持の形の安定しているものと考えられるのに、二点でしか支持されない形で笠木が取り付けられたのは、両支柱の頭の間に大きな高底差があるなど、三点支持ができないほどに鳥居建の傾斜が著しかつたためであると認められる。これに対してJの鳥居建の笠木は両支柱丸太及び方杖の三点で支持されるよう取り付けられていたことが明らかであるが、笠木の長さが一メートル二三センチメートルと異常に長いのである。このことは、やはり両支柱の傾斜移動が著しく、ガス管から大きく外れてしまつたために、ガス管が支柱丸太と方杖の中間に来るように方杖を取りつけようとするにはきわめて長い笠木が必要であつたことを示すものといわなければならない(鳥居建Kの笠木も七二センチメートルとかなり長く、鳥居建Jの場合と同じような必要があつたことが認められる)。

以上のとおり、方杖の付せられたA・B・J・Kの四基の鳥居建はこれが付せられた時点で、両支柱丸太の間でガス管を支持することができないほど傾いていたばかりでなく、その傾斜の程度は著しく、支柱丸太が大きくガス管を外れる状況にあつたということができる。ところで、これらの方杖が付されたのが埋戻工事中のどの時点、何日ごろであるかについては、本件事故が生じた箇所の付近のガス管受防護の確認検査が行われたころに鳥居建がどのような状態であつたかということに関連するので後に第七において詳述する。

(3) 鳥居建の手直し

司法警察員木村運藏作成の写真撮影報告書(甲一13)写真5によると、鳥居建Aの志村側の隣りの鳥居建(これは審理中鳥居建A'と呼ばれていたので、以下これに倣うこととする)は、事故後見られるところでは、笠木が角材であり、笠木と海側支柱との間に数センチメートルの厚さの木片が挾み込まれていたことが明らかである。ところで、前記のとおり、本件事故の起こつた箇所付近において、建てられて間もない鳥居建を昭和四三年五月末ころ撮つた押符五五号の写真について、写つている鳥居建をその形状や番号の付されている側杭との位置関係をもとに実況見分調書の各鳥居建と対応させてみた結果は押符六九号のとおりであると認められる(証人沖津明及び被告人早川の各公判廷供述)が、この写真に見られる鳥居建A'には右実況見分時に見られた木片はなく、笠木も太鼓落しであり、しかも右のような木片を必要とせず、笠木が水平に支柱丸太の上に載せられて取り付けられていることが明らかである。このことから、右写真が撮られたあと、埋戻しが進められている過程で、笠木を水平に載せることができないほどに鳥居建が傾き、丸太と笠木の間に木片を入れるなどの手直しがなされたことが明らかに認められる(被告人早川の公判廷供述。被告人吉村及び同築山の弁護人は右木片の存在は鳥居建の傾斜を意味するものではないと右の点を争つているが、水平に取り付けられていた鳥居建の笠木と支柱の間に後になつて木片を入れた理由は鳥居建の傾斜以外に考えることができないというべきであるところ、弁護人はこの点の反論となるに足りる根拠を示していない)。

また甲一16の実況見分調書、押収してある笠木一本(押符六四号)、木製パッキング一個(押符七九号・甲追加分五2)によれば、本件事故当時鳥居建Cの笠木と海側支柱丸太との間にパッキングが挾まれていたことが認められるのであるが、このパッキングも右A'同様、右押符五五号の写真が撮られた後の埋戻段階において、笠木を水平に載せることができないほどに鳥居建が傾いたため、A'とともに右パッキングを挾むなどの手直しがなされたことを示すものと考える余地が存するというべきである。

同様のことは鳥居建Gについてもいえる。甲一16の実況見分調書によれば、この鳥居建は山側支柱と笠木の間に厚さ一三センチメートルのパッキングが入れられた状態で事故後に掘り出されているのであるが、押符五五号の写真に写つている鳥居建Gの山側支柱と笠木の間にはそのようなパッキングは見られないから、右写真の撮影後埋戻が進められているうちに、鳥居建が傾斜して山側支柱丸太が低くなつたため、右のパッキングで笠木の傾きを直す手直しが行われたと認められ、しかも右パッキングの厚さ一三センチメートルから考えると、この鳥居建の傾斜もかなり大きなものであつたということができる。

(4) 笠木等に残された圧迫痕の形状

前に鳥居建A・B・J・Kについて触れたとおり、これらの笠木には、鳥居建支柱丸太及び方杖の圧迫痕が残されている。これらの圧迫痕は深さ一ミリメートル程度のごく浅いものであつても、ガス管が鳥居建の上にただ載つただけ、あるいは笠木に土圧が加わつただけで付されるものではなく、埋戻が終了して、前記のような突出型土圧等のきわめて大きな荷重がガス管を介して笠木に加わるのでなければ印されるものではないということは、証人星埜和、同沖津明、同保国光敏ら専門家関係者が一致して説く経験則と認められ、埋戻終了後のガス管・笠木・支柱丸太の位置関係を示す重要な証拠というべきである。しかして、鳥居建A・Bの笠木に残された圧迫痕は、いずれも直線と曲線が筋のようについているだけであつて、このことは方杖と支柱丸太が笠木に対して垂直ないしこれに近い角度ではなく、もつと斜めにその上端切り口の縁辺の一部で笠木に接していたことを示すものというべきであり、右圧迫痕の曲線の向き及び関係証拠に照らすと、右圧迫痕はいずれも、支柱丸太及び方杖の各上端の海側の縁によつて印されたものであると認められるから、埋戻終了後の右のように大きな荷重が加わつた時点で、これらの丸太や方杖はいずれも山側へ大きく傾斜していたということができ、前記(2)のこれらの鳥居建が埋戻中にいずれも山側へきわめて大きく傾斜していた事実と符号しているといいうるのである。

そしてさらに、鳥居建C及び同Fについて、その笠木(Cのものは前記押符六四号、Fのものは同六六号)及びパッキング(Cのもの。押符七九号・甲追加分五2)に付された圧迫痕をみると、いずれも支柱丸太の上端の縁の一部で印されていることが明らかで、丸太の上端の全面ないしはこれに近い部分で笠木を圧した痕跡はまつたくこれを認めることができない。押符五五号の写真によれば、鳥居建Cの山側支柱丸太の上端はその全面で笠木と接していたものと認められるのであるが、これが埋戻終了後の大きな荷重がかかつた時点ではその縁の一部でしか接していないということは、鳥居建A・B同様、鳥居建Cも埋戻中にかなり傾斜していたことを示すものと考えるのが相当であり、圧迫痕の曲線の向きに鑑みれば、その傾斜の方向は山側であつたと認められる。鳥居建Fについても同様に考えて、埋戻中かなり海側へ傾斜していたものと認めるのが相当である。以上のとおり、埋戻が進められていた段階で傾斜変形した鳥居建は決して少なくないというべきところ、本件事故現場付近の鳥居建のうち、方杖の付されたA・B・J・K、木片を入れられたA'・G、圧迫痕の形状から支柱が笠木に対してかなり斜めに位置していたとみられるC(右のとおりこの鳥居建が山側に傾斜したとすれば海側支柱はかなり傾斜し山側支柱より低くなつたと考えられるから、前記のとおりパッキングが入れられていることと相応する)・Fが、いずれも埋戻終了前にすでに相当程度傾斜していたと認定できることとなる。被告人吉村及び同築山の弁護人は、A・B・J・K以外の本件各鳥居建は埋戻中には移動していないと主張し、その根拠を(一)鳥居建A・B・J・Kに方杖が取り付けられたころ撮影された押符七四号・弁A31、押符六七号・弁A18の1、及びその二〇日余り後に撮られた押符六八号・弁A19の1の各写真によれば、右四基以外の本件各鳥居建は傾斜変形していない、(二)方杖が付されたのは右四基のみである、(三)鳥居建C及びFの笠木に残された支柱丸太による圧迫痕の位置や深さから考えて、これが印されたときの各支柱丸太は建て込み当時の位置を維持していると説いているのであるが、(一)の点については後に第七において詳論するとおり、右各写真撮影の時点では、鳥居建C・F・G・H・Iのみならず、A・B・J・Kも傾斜変形しておらず、したがつて弁A31、弁A18の1の撮影されたころに右四基の鳥居建には方杖が付されたとは認め難いのであり、(二)の点については、鳥居建が傾斜変形してもその程度によつては方杖を付されないことは十分にありうるというべきであつて、いずれもその主張を支える根拠とはなし難い。(三)の点は、鳥居建Cについて、圧迫痕が付いた時点における海側支柱の位置を、特段の根拠なしにガス管中心が両支柱丸太の中間にあつたと仮定して定め、これをもとにかつ何ら理由を説明することなく、各支柱丸太の全体的位置関係が建て込み当時の位置を維持しているといつてよいとしているのであつて、その立論は合理性に欠けているというほかなく、鳥居建Fについても両支柱丸太による圧迫痕の面積及び深さがほぼ同様の状況にあることを理由にガス管の中心と支柱間隔の中心がほぼ一致していたとしているのであるが、圧迫痕の深さは山側支柱のそれが八ミリメートルであつて、海側支柱のそれの1.33倍もあるのであつて、ガス管が両支柱の中間にあつたとは直ちにいうことができないのみならず、証人星埜和の供述によれば、圧痕の深さは笠木と支柱の接触の仕方、接触箇所の支柱の形状によつても異なることが明らかであるから、これによつて笠木上のガス管の位置を定めることはできないといわざるをえないし、また、支柱丸太が全体的な位置関係からすると建て込み当時の位置を保つているとする根拠も薄弱であるというほかはない。いずれにしても右(三)の点は前記(4)の点と矛盾するのであり、以上のとおり弁護人の主張する諸点は前記認定を左右するに足るものではない。

右認定したところを総合し、かつ、前記(一)で推認した本件各鳥居建の建て込みから事故の時点に至るまでの間の傾斜移動量、その方向並びに甲16の実況見分調書その他関係証拠により認められる移動の態様に照らし考察すれば、本件各鳥居建のうち、笠木の圧迫痕やパッキング等の傾斜のあとを明らかに示す証拠のないH・Iも、両隣りのF・G及びJ・Kと同様に埋戻中にかなり海側へ傾斜移動していたことが容易に推認できるといわなければならない。すなわち、埋戻段階で本件各鳥居建はいずれも相当程度傾斜していたものと認定するのが相当である。

(三) 埋戻終了後の傾斜とその移動量

そこでつぎに、本件各鳥居建が埋戻終了後に傾斜移動した事実はあるのか否か、あるとしてその移動量はどのくらいかの点の検討に移ることとする。

押収してある笠木三本(押符四〇号・甲三14、同四五号・甲三19、同四六号・甲三20)、方杖二本(押符四二号・甲三16、同四八号・甲三22)、木製パッキング三個(押符四一号・甲三15、同四三号・甲三17、同四九号・甲三23)、前記甲一17の写真撮影報告書、甲一14の実況見分調書、「笠木圧コン実状調査」と題する書面を総合すると、鳥居建J及びKは、いずれも事故後に掘り起こしたとき、支柱丸太とその外側に取り付けられた方杖のほぼ中間で笠木がガス管を受けていたこと、両鳥居建の笠木にはいずれも方杖と支柱丸太の圧迫痕が深さ一センチメートルないし二センチメートルと深くくつきりと印されていて、これらの笠木が長期間にわたつてガス管を介してこれに働く土圧等前記の過大な荷重を受けていたことが明らかである。以上によれば、これらの鳥居建は埋戻の段階で前記のように傾いて方杖を付されたけれども、その後埋戻終了、路面復旧の段階を経て事故に至るまで、そのままの状態でほとんど動くことなくガス管を支持してきたということができる。

(1) 鳥居建A・Bの傾斜移動

しかしながら、押収してある笠木二本(押符三三号、三四号・甲三4、5)、方杖二本(押符三六号、三七号・甲三7、8)、木製パッキング二個(押符三八号、三九号・甲三9、10)甲一6の写真撮影報告書、甲一15・16の各実況見分調書、前記「笠木圧コン実状調査」と題する書面、証人星埜和、同保国光敏及び同沖津明、被告早川及び築山の供述を総合すると、つぎの諸点を指摘することができる。

鳥居建A・Bは共にきわめて大きく傾斜し、笠木がガス管から一〇センチメートルほども難れた状態で事故後に掘り起こされているのであるが、両鳥居建の笠木の下側の面には前記のとおり支柱及び方杖が押しつけられたため付されたと認められる圧迫痕が存する。圧迫痕がついているということは、前記のとおり、埋戻終了後にガス管を介して突出型土圧等の荷重が笠木に加わつたことを示すもの、すなわち、その時点で鳥居建がその両支柱の間、あるいは支柱と方杖との間でガス管を支持していたことの動かし難い証左であるといわなければならない。したがつて鳥居建A・Bはいずれもその支柱と方杖との間でガス管を支えていた(圧迫痕の深さはいずれも約一ないし三ミリメートルと比較的浅かつたから、支えていた時期はさほど長いものではなかつたと思料される)が、その後、埋戻終了後の地中で右各鳥居建がなお傾斜移動して事故後の掘削時の状況になつたものと認めざるをえないこととなる。

証人星埜和は、掘削によつてガス管が弾性分だけ元に戻つたために笠木とガス管の間が開いてしまつたもので、ガス管が笠木から離れてしまつたということはあり得ないと供述しているのであるが、その見解に疑問があつて採用しえないことは前記(第二・二(一))のとおりである。また被告人早川及びその弁護人は、右各鳥居建が埋戻終了後ガス管を支持していたことはないと主張し、右の各圧迫痕は鳥居建が傾斜したときに支柱と方杖が笠木との接合箇所で笠木をこじることによつて付された痕跡であり、実験によつて鳥居建傾斜の際このような痕跡の付くことが確かめられたと主張しているのであるが、鳥居建A・Bの各笠木は支柱丸太及び方杖に釘で取り付けられていたと認められるものの、これらの釘は、実況見分時には抜け、かつ、折れ曲つてしまつていたのであつて、右のようなこじり痕がつくほどの緊縛力を与えられるような打ち方で、そのような箇所に止められていたとは考え難いばかりでなく、両鳥居建の場合とも、笠木は、方杖及びこれが取り付けられた支柱丸太の三本が三角形をなす状態で付けられていたのであり、支柱丸太と方杖の間には木製のくさびも挿入されていたから、支柱丸太の傾斜に伴つて右の三角形もそのままの形で支柱とともに傾斜したものと考えられるのであつて、笠木が丸太や方杖でこじられること(そのためには笠木と丸太ないし方杖との接合の角度が変わらなければならない)はまず考えることができないというべきである。被告人早川の述べる実験は、笠木を寝かせて固定させ、支柱丸太と方杖とをその上に立て、これをロープで引いて、これらの笠木との接合の角度を変えてこじらせるという方法によつて行われたことがその供述及び「圧迫痕実験の写真集」と題する書面(弁A51)により明らかなところであつて、鳥居建A・Bの動きを再現したものとはいい難いのである。埋戻終了後に鳥居建A・Bがなお傾斜移動したことを否定する余地はないといわざるをえない。

そこで、埋戻終了後の鳥居建支柱の移動量はどの程度になるかを考えてみる。前記のように笠木に方杖と支柱丸太の圧痕が付されていることから、ガス管の中心が方杖と支柱丸太の間にあつたことは否定しえないところである(証人星埜和の証言)。そして証人保国光敏は、A・Bのいずれについても支柱丸太の圧痕の方が方杖によるそれより深い(同人の証言および「笠木圧コン実状調査」と題する書面によれば、笠木Aに付された支柱丸太の圧痕の深さは最高2.9メートルであるのに対し方杖のそれは二ミリメートル、笠木Bの場合は支柱丸太のそれが1.9ミリメートルで方杖のそれは0.8ミリメートルと認められる)ことから、ガス管は支柱の方に近かつたと考えられる旨証言しているところ、前記のとおり圧痕の深さは笠木との接触の仕方によつても変わるから、ただちに右保国証言のようにいうことはできないとしても、右圧迫痕の状況と、両鳥居建とも実況見分の時点では笠木とガス管とが前記のとおり一〇ないし一二センチメートルも離れており、元の相接していた状態から右見分時の状況になるには相当に大きな量の傾斜移動があつたと考えざるをえないことを総合すると、少くともガス管は方杖と支柱丸太の中間にあつたことは優に推認しうるというべきである。そうすると、前記甲一16の実況見分調書見取図No.6の数値をもとに計算をすると、鳥居建Aの場合、方杖と支柱丸太の各頭頂部中心間の間隔三一センチメートルの二分の一に方杖の中心とガス管中心との間隔九センチメートルを加えた24.5センチメートルほどは埋戻終了後に移動したものと考えられる。なお、前記(二)(4)のとおり、埋戻が終つて突出型土圧等の大きな荷重が加わつた時点で、笠木と接していたのが支柱及び方杖の海側の上端の縁であつたことを考え、右の各間隔をいずれも右の同図上の縁との間でとると、方杖と支柱の間隔は二八センチメートルとなるから、この二分の一に方杖の海側の角とガス管中心との間隔三センチメートルを加えた一七センチメートルは最小限度移動したものということができる。鳥居建Bの場合も同様にして二六センチメートル程度、前記(二)(4)の状態であつたことを考えてどんなに少くとも19.75センチメートルは埋戻終了後移動したと考えられる。

(2) 鳥居建Cの傾斜移動

実況見分時鳥居建Cの笠木は支柱丸太から外れて数センチメートル下に落ちていたことが明らかである(甲一16の実況見分調書)。しかしながらこの笠木には前記のとおり山側支柱によるものと認められる圧迫痕が付されており、右笠木と一緒に掘り出されたパッキングにも、これが海側支柱と笠木の間に挾まれて付けられたものと考えるほかのない圧迫痕が付されている。そうすると、埋戻終了後鳥居建Cには笠木が載つていたこと、そしてこの鳥居建が両支柱の間でガス管を支持していたことは認めざるをえないわけである。ところが事故後の実況見分時にはガス管の中心が両支柱丸太の外側に来ている状態であつたこと、この時点では仮に笠木が両支柱の上に載つていたとしても、ガス管は笠木からかなり離れたところにあるような位置関係にあつたことがそれぞれ甲一16の実況見分調書によつて認められるから、これらを考え合せれば、埋戻終了後鳥居建がなお傾斜移動して笠木が支柱丸太から外れて落ちたと考えられる(被告人早川の弁護人は「笠木はパッキングを上にして鳥居建支柱丸太の頂部より下の地中にあつたところを掘り出されているが、笠木が埋戻終了後に右のような状態になるには、一八〇度回転して地中を下方へ移動したということにならざるを得ず、そのような事態をもたらした土砂の移動はありえない」と主張しているが、土砂は後記のとおり沈下しつつ地中の密度差によつて横移動したと認められるのであり、そうすると鳥居建C付近の埋戻土砂は全体として一様な動きをしていたというよりは、部分によつて差異のある、きわめて複雑な動きをしたと考えるのが自然であつて、そのような土砂が笠木ないし支柱を押して、この両者を引き離した際、釘とかすがいで止められていた笠木が、最後まで釘やかすがいが利いていたところを中心に一八〇度回転するなどしたうえ、沈下する土砂と共に下方へ落ちたということは十分に考えられるところというべきである)。鳥居建Cも埋戻中にかなり傾斜しながらも、埋戻終了時には両支柱間でガス管を支持していたのであるが、その後なお傾斜移動したと認定するのが相当である。

そうすると、埋戻終了直後にガス管の中心が両支柱の間にあつたことはたしかであるから、その時点で海側支柱はガス管中心よりも海側にあり甲一16の実況見分調書見取図No.6によれば、その後これが山側に一九センチメートルほど、(二)(4)のような形状であつたことを考えるとどんなに少くとも、右一九センチメートルと右支柱の半径7.5センチメートルの差11.5センチメートルよりは大きく移動したと認定せざるをえないこととなる。

(3) 鳥居建Fの傾斜移動

事故後鳥居建Fは海側に大きく傾き、ガス管の中心が山側支柱の中心から二五センチメートルも外側にあつてガス管支持の役割を全く果たしていない状態で掘り出されているのであるが、この鳥居建笠木には前記のとおり深さ六ミリメートル及び八ミリメートルの支柱丸太が押しつけられてできたものであることの明らかな圧迫痕が二つ残されているのであつて、この鳥居建も右(2)の場合と同様に埋戻終了後にガス管を両支柱丸太の間で十分支持していたことが優に認められる。したがつて、実況見分時に前記のような状態になつたのはその後になお鳥居建が傾斜移動したからであると認めざるを得ないわけである。そして前記のとおり埋戻中にすでにかなり大きく傾斜していたとしても、埋戻終了時に山側の支柱の中心がガス管中心よりも山側に来ていたはずだということは前記(2)の場合と同様であるから、甲一16の実況見分調書見取図により、右支柱が海側へ二五センチメートルほど、(二)(4)点を考えて、どんなに少くとも右二五センチメートルから同支柱の半径七センチメートルを差し引いた一八センチメートルは移動した筈であるということになる。

(4) その余の本件各鳥居建等の傾斜移動

以上のとおり、鳥居建A・B・C・Fはいずれも埋戻終了後二十数センチメートル、どんなに少くみても十数センチメートルは傾斜移動したと認められるのであり、そうすると、本件事故当時ガス管を支持していなかつたその他の鳥居建G・H・Iについても、これらが鳥居建Fに続いて並んで建つていること、これらの事故後の傾斜の状況が鳥居建Fと似ていること(甲一16、甲一14の各実況見分調書)、これらに隣接する鳥居建J・Kには埋戻の方杖が付されたのに、右G・H・Iにはこれが付されなかつたこと等の情況があるから、前記のとおり右三基はいずれも埋戻段階で相当大きく傾斜していたものと認められるけれども、なお埋戻終了後、鳥居建Fと同様に一時的にしろガス管を両支柱の間で支持する状態にあつたのではないか、そしてその後さらに傾斜が進んで実況見分時のような状態に至つたのではないかと考える余地は十分に存するというべきである。そして前記同様に移動量を算定すると鳥居建G・Hは埋戻終了後山側へそれぞれ二〇センチメートル、二三センチメートル(最小限度それぞれ12.5センチメートル、15.5センチメートル)は移動したものと考えられるということになる(被告人早川の弁護人は掘削時の鳥居建Gの山側支柱の頭頂部が海側支柱のそれよりも三センチメートル低かつた((甲一16の実況見分調書))から、その手直し後三センチメートルの高低差を生じる程度しか傾斜が起こつていないと主張しているが、頭頂部の下がり方は支柱のどの部分がどのように曲つて傾斜を生じたかによつて異なるのであり、支柱の根元から全体として傾いたときなど頭頂部はさほど下がらず大きく横移動することもありうるのであつて、一概に右主張のようにいうことはできない。なお鳥居建Iについては甲一14の実況見分調書に掘削時の鳥居建頭頂部の位置関係を示す数値の記載があるが、鳥居建Iについての右数値は同調書見取図(3)のそれと食い違つているし、この調書の鳥居建G及びHの支柱の位置に関する数値には同調書添付写真に写つているこれらの鳥居建の状況と対比してみると不合理であるといわざるを得ないような点があるなど、その実況見分における計測の結果及びその調書への記載の正確性には疑問があるというべきであり、右実況見分が鳥居建I近くまで事故直後に掘り起こされ埋められたあと半年を経て再びそこを掘り返して行われたものであつて、その間ガス管が動くなど事故直後とは状況が異つているのではないかと疑う余地も十分にあることを考え合せ、右数値にもとづいて鳥居建Iにつき考えられる埋戻終了後の移動量を算出することは適切ではないと思料する)。

なお、前記甲一13写真5及び6によれば、鳥居建A'は前記のとおり手直しされた状態からなお傾斜移動したことが明らかである。被告人早川の弁護人はこの鳥居建の上にガス管の上部にガス管を吊つていたワイヤーが写つており、このワイヤーは海側・山側にも、巣鴨側・志村側にも動かずほぼ垂直に埋まつている状態であるから、埋戻後土砂は、いずれの方向へも移動しなかつたとし、このことを本件各鳥居建の埋戻終了後における傾斜移動はなかつた証左であると主張している。しかしながら、前記のような本件各鳥居建の全体的な動きの状況に甲一16及び甲一14の各実況見分調書その他の関係証拠を総合すれば、本件事故現場付近でガス管は動かず(仮に動いたとしても鳥居建の動きに比べるとごく僅かである)、鳥居建のみが動いたものと認定するのが相当であり、その事実も、埋戻終了後の鳥居建の傾斜移動の原因と矛盾することなく説明が可能であることは後記のとおりであつて、前記ワイヤーの状態をもとに、鳥居建A'の埋戻終了後に傾斜移動しなかつたとは必ずしもいうことができないのである。却つて以上の(1)ないし(4)の諸点に鳥居建A'が手直し後なお傾斜したとの右事実を考え合せるならば、右の傾斜が埋戻終了後に生じたものと推認する合理的根拠が存すると考えるのが相当であるといわなければならない。

以上、要するに、本件ガス管折損の原因となつた鳥居建E付近における支点形成の事態に至つたのは、その前後の鳥居建A'・A・B・C・F・G・H・I・J・Kが埋戻段階においてかなり傾斜移動し、鳥居建A・B・J・Kは完全にガス管から外れ、鳥居建の中には笠木が水平を保てないものも出たけれども、右四基に方杖が付され、他の鳥居建にはパッキングを入れるなどの手当がなされて、右各鳥居建はいずれも一応本件ガス管を支持していたのに、埋戻終了後にいずれも十数センチメートルから二十数センチメートルもの大きな移動を起こしてしまつたことによるものと合理的に推認することができる。そして右のとおり、その後移動量は検察官のいうような「微量」あるいは「若干」ではあり得ず、この点に関する検察官の前記主張は失当であるといわざるをえない。

二  本件各鳥居建傾斜の原因

(一) 埋戻中の傾斜の原因

そこで、以上のような鳥居建の傾斜移動の原因は何であつたかについて検討を加えることとする。まず、埋戻中の傾斜の原因につき、本件証拠上考えられるものを列挙すればつぎのとおりである。

(1) 埋戻土砂の高低差による偏土圧

前記のとおり、埋戻土砂はダンプカーで運ばれて来て、一か所につき四、五台から一〇台分も坑内に投入され、数メートルにも達する山が築かれ、翌日人夫がスコップでこれをかきならすとともに、ホースで水を流して水締めをしたと認められるのであり、証人増田和弘及び同末重雅敏の各供述によれば、埋戻に際しては、覆工板を開けた状態で、埋戻砂が埋設物に当ることのないよう、埋設物が近くにないかを点検、確認したうえで砂を投入するよう作業員らに指示をしていたけれども、作業帯が十分にとれないときがあり、また他の作業との関係もあつて常に適切な投入場所が得られるとは限らないことなどのために、砂の山のすそが鳥居建支柱にかかることもあつたことが認められる。(なお、場合によつてはかなりの量の砂がガス管の上に載るような投入の仕方がなされたこともあつたことが押収してある確認書中の写真〔押符二五号中、地検領四九号三の一ないし三の確認書中の、四九―三―三のラベルの貼付された台紙二枚目左上の写真・甲二57〕により明らかである。右の写真のガス管には高さ十数センチメートルにもなるとみられる大量の砂が載つているのであり、被告人築山はこれにつき覆工板をつくつたときの鋳物砂が、上を走る自動車の振動等によつて落ちて積つたものであると公判廷において供述しているけれども、鋳物砂がこれほど大量に付着したまま覆工板が工事現場まで運ばれて使用されることがあるとは到底考えることができず、右写真のガス管の下の砂の状況に鑑みても、ガス管上に載つているのは埋戻砂としか認めることはできないというべきである)。このように砂の山が鳥居建支柱にかかり、鳥居建の左右の砂の高さに差がある場合、特定の条件の下では山積みになつた砂が水平になろうとして高い方から低い方、すなわち横方向への圧力(偏土圧)を支柱に及ぼし、それによつて鳥居建を傾斜させる可能性があり、これは本件事故現場における傾斜の原因として考えることができる(証人渡辺隆、同星埜和の各供述)。

(2) 埋戻土砂の動的偏土圧

証人細野光二の供述によれば、埋戻砂は通常ダンプカーから直接坑内へ落とすという方法で投入されていたと認められるのであるが、前記のとおり本件坑内は非常に深かつた(測点一九二から同一九五に至る区間では、地下鉄構築の上から地表まで七ないし八メートル以上にも及んでいた〔前記「ガス管復旧方法変更図」〈押符一二号・甲二31〉〕)から投入された砂が塊となつて数メートルも落下し、底部に衝突して激しい勢いで横に拡がることのあつたことはきわめて容易に想像しうるというべきところ、本件事故現場付近に1.3メートルの間隔で林の如く建ち並んでいる鳥居建に対し、投入された土砂が右のように横に拡がる際にぶつかり、これを横方向へ押す、いわゆる動的偏土圧を及ぼしたものと考える余地は十分に存するというべきである。

また、前記のとおり、山積みされた砂を人夫がスコップでかきならし、同時にホースで水を流して水締めをした際にも砂が大量に横に移動するのであり、これに伴つてかなりの大きさの横方向への力が鳥居建に働いたことも考えられるところである(前記渡辺証言)。

(3) 工事中の衝突

本件地下鉄工事の坑内には、土留が崩壊することのないよう、多数の支保工を坑内を横切るように水平に渡してあつたが、埋戻が進むにつれてこれらの支保工を順次撤去しなければならず、これを吊り上げて坑外へ運び出す作業が行われていたし、前記のとおり地下鉄構築上に建設されていた共同溝コンクリート打設のための型枠を組む材料の搬出入も行われていたなど、坑内で工事用の材料等を動かすことは多く、しかもその中には右のとおりかなりの大きさと重量のものが含まれていたことが関係証拠により明らかである。前記のとおり鳥居建が林立しているところでこれらのものを動かすのであるから、これらが鳥居建にぶつかり、その衝撃によつて鳥居建を傾かしめる可能性のあつたことは、鹿島建設の現場監督者も認めるところであつて(証人増田和弘、被告人築山の各公判廷供述)、これを原因とする鳥居建の傾斜が生じたことも十分に考えることができるといわなければならない(渡辺証言)。

(4) 埋戻土砂の密度差による偏土圧

この点は、審理の過程においては主として埋戻終了後の傾斜原因といえるか否かの観点から問題とされたので、詳細は次項で論ずることとするが、これが埋戻段階においても鳥居建の傾斜原因のひとつとして考えられることは、証人渡辺隆、同星埜和の各供述及びこの事象に関する理論的根拠に照らして明らかである。被告人吉村及び同築山の弁護人は、埋戻土砂が密度差によつて横移動するには、振動その他の外的要因が加わつて初めて生ずるものであるのに、本件現場の施工状況を前提とするかぎり、埋戻過程においては、そのような外的要因は作用していないから、この段階においてこれが鳥居建の傾斜原因となり得ない旨主張しているが、前記のとおり昭和四三年一二月一日から営業運転に近いダイヤで地下鉄の試運転が開始されたのであり、これによる振動は埋戻土砂の底から全体的に地盤を振動させ、とくに地下鉄構築に直接載つている鳥居建を介してその周辺の土砂を振動させたものでその影響は相当に大きかつたと考えられる(第二・二(二)(2)2ハ)のであり、また前記のとおり不十分ながら水締めが行われ、部分的には水によつて土砂が動きやすい状態であつたところもあると考えられるなど、埋戻の過程において土砂の密度差による鳥居建傾斜は十分にありえたものということができる。

以上を総合すると、本件事故現場付近の鳥居建が埋戻段階において傾斜したのは、右(1)ないし(4)のいずれか、またはこれらのうちのいくつかの競合によるものと認定するのが相当である。被告人吉村及び同築山の弁護人は右(1)ないし(3)が理論的には傾斜原因として考えうるとしても((4)については前記のとおりありえないとする)、本件施工現場においては施工の実態に照らしてありえなかつた旨証人保国光敏の証言に依拠して主張しているが、以上に述べた諸点、そして何よりも埋戻過程で本件各鳥居建がいずれもかなり大きな傾斜移動をしている事実に照らして右証言はにわかに信用することができないというべきであり、右主張は採用しえない。

また被告人早川の弁護人は、(1)の原因について、偏土圧を生ずる極端な高低差のある土砂の堆積があつても、鳥居建は必ず傾斜・変形を起こすものでもなく、本件鳥居建の傾斜・変形がいかなる方向の、また、いかなる場所に土砂の堆積があれば起きたかは全く不明であり、むしろ、鳥居建の現実の傾斜・変形を生じさせた土砂の堆積は考えられないとし、押符三〇号の二三・甲二66のアルバム二一頁②フィルム番号1の写真を拡大したものを弁A2(押符五七号)として提出し、この写真には昭和四三年一二月七日夜のL断面換気孔のすぐ巣鴨側に鳥居建が写つているが、この鳥居建は実況見分の際見付かつておらず、実況見分の際の掘削の範囲外にまで傾斜・変形していたことが明らかであり、しかも右写真によれば、鳥居建の最上部付近まで埋戻が済んでいるだけでなく、その当時鳥居建が正常にガス管を支持していたことも認められるから、その後の埋戻土砂の投入によつて傾斜・変形をしたことも明白であるとして、本件各鳥居建の傾斜・変形は、鳥居建上部の埋戻によるものであり、埋戻土砂の高低差による偏土圧によるものではないと主張している。すなわち前記(1)の原因ではなく、埋戻が上部にまで達した段階における前記(2)の原因によつて本件各鳥居建の傾斜・変形が生じたと主張しているものと思料されるのである。たしかに押符五七号・弁A2に写つている鳥居建の状態、傾斜変形の時期及び傾斜の態様が右主張のとおりであることは関係証拠によつて優に認められるところであり、後記第七のとおり、本件各鳥居建の埋戻段階における傾斜・変形の時期は昭和四三年一一月一一日より後であつて埋戻がかなり進んだころであつたと推認されるのであるが、証人星埜和の供述その他関係証拠によれば、埋戻土砂が鳥居建の上部にまで来た段階では土砂が移動するのでない限り、土砂による拘束力も大きくなつて鳥居建支柱は動きにくくなつていると認められること、(2)の原因による傾斜・変形が埋戻がさほど行われていなかつた段階では発生せず、上部埋戻が行われる時点で生じた理由が明らかではないこと、(1)の原因による傾斜・変形が条件が充たされさえすれば生じうるものであることは証人星埜和、同渡辺隆の各供述により明らかであり、いつ本件各鳥居建付近のどの地点にいかなる量の埋戻土砂の投入が行われたかの詳細が証拠上不明な本件において(1)の原因で本件各鳥居建が傾斜変形したことまで否定し去ることは困難というべきこと、前記のとおり、昭和四三年一二月初めころから地下鉄の試運転が開始されたことや、埋戻土砂が上部まで来れば来るほど埋戻土砂の移動の機会やこれが鳥居建支柱を動かす力が増大すると思料されることから、上部埋戻の時期に(4)の原因による傾斜が生じたと考える余地も十分にあるというべきであること等の諸情況が存するから、右主張のように(2)の原因のみで埋戻段階における鳥居建の傾斜変形を説明するのは困難であるといわざるをえない。右主張の諸点は前記認定を左右するに足るものではない。

(二) 埋戻終了後の傾斜の原因

つぎに前認定のとおり埋戻終了後に本件各鳥居建が傾斜移動した原因の検討に移ることとする。

(1) 自動車荷重説

検察官は、埋戻終了後の鳥居建の傾斜移動は自動車荷重が原因であると主張している。前記久宝保は、「鳥居建が埋つている直上よりやや横の地点を自動車が通ると、その荷重で鳥居建はその自動車と反対の方向に押される力を受ける。その点は実物の一〇分の一大の鳥居建とガス管の模型を地中に埋め、表面をランマーで叩いて実験することによつて確かめることができた」旨述べている(同人作成の鑑定書〔甲一78〕五三―一丁、同人の証言)。たしかに、路面に自動車荷重が加わると地中に鑑定人の述べるような力をある程度及ぼすことは認められる(証人渡辺隆、同山田功及び同星埜和の各供述)のであるが、これが主として本件鳥居建傾斜の原因となつたと考えるには、つぎのような疑問点が存するといわなければならない。

1 右鑑定書二五丁、二六丁によれば、自動車荷重が地中に及ぼす力は、地表からの距離の二乗に反比例して急速に小さくなることが認められ、久宝証人自身が「自動車荷重は地下1.2メートルより深いところでは非常に小さくなり、地表から二メートル以上深いところには及ばない」と述べているのであり、このような荷重で鳥居建を傾かせ得たとは考えることが困難である(証人星埜和、同渡辺隆の各供述)。すなわち、前記のとおり鳥居建支柱丸太は末口13.5センチメートルもの非常に太いものであるうえ、埋戻土砂の中にすつぽりと入つているものであるから、ある程度の深さにわたつて土砂ともどもこれを動かすのでなければ傾斜移動させることはできないと思料されるところ、自動車荷重にそのような影響力がないことは右星埜、渡辺証言により明らかである(もつとも証人保国光敏は、自動車荷重の影響は、よくしまつた土の場合には一メートル五〇センチメートルほどの深さのところでなくなつてしまうが、地盤のゆるい場合には影響は大きくなると述べており、実際に、本件現場付近は沈下が生じており、地盤が緩かつたと認められるのであるが、同証人はその影響の増大の程度を定量的に示しているわけではなく、単にそのような傾向があると述べているに過ぎないのであり、しかもそのように増大した自動車荷重のみによつて鳥居建が傾斜移動したとまで証言しているのではなく、これにより他の原因による傾斜移動が助長されたといつているに止まるものと考えられる)。

検察官は、本件鳥居建はその構造上「てこの原理」によつて鳥居建頂上部付近に対する荷重の影響が著しく増幅されるし、自動車荷重は反覆的、累積的に鳥居建に作用するものであるから、自動車荷重が僅少であつたとしても、すでに相当の傾斜・変形を遂げている鳥居建に他の原因と相まつて、最終的にガス管からはずれる程度の若干の傾斜・変形をもたらした可能性はあると主張している。しかしながら埋戻終了後の本件鳥居建の傾斜移動量は前記のとおり検察官主張の程度に止まらず二十数センチメートル、どんなに少くみても十数センチメートル以下になることはないと認められるのであつて右主張は傾斜移動量の判断を誤つているわけである。また検察官は他の事項についてであるが、埋戻終了後の鳥居建はそれ以前に比較して土砂に接する面が増加するために土圧が加わりやすくなる反面、土砂による拘束力の増加のためにきわめて安定した動きにくい状態になるものである旨主張しているのであり、右主張の点は前記のとおり証人星埜和の供述その他の関係証拠によつて明らかなところであつて、支柱頭頂部にいかに反覆累積的に自動車荷重が作用したとしても、鳥居建に右土砂の拘束力を打ち破つて十数センチメートルをこえる移動をなさしめるほどの傾斜をさせえたとは到底考えることができない。

2 久宝証人がその論拠としている実験は、前記のとおり一〇分の一の模型を使つて行われたものであり、同証人及び証人山田功の各供述によれば、これに用いられた土砂の深さは約八〇ないし九〇センチメートルであつたことが認められるのであるが、右1で述べた地中への荷重の伝わり方からみると、右実験の土砂の深さでは地表の荷重は鳥居建の模型の根元にまで到達してしまうことになるのであつて、鳥居建の上端付近ではほとんど荷重が消えてしまう本件事故現場とは重要な点で相違しているのである(証人渡辺隆の供述)。

3 前記のとおり、本件事故現場付近においてガス管は動かず、鳥居建のみが動いたものと認められるのであるが、もし久宝証人のいうように自動車荷重の影響で動いたのであれば、ガス管と鳥居建頭頂部付近の土砂が動いて、両者共に同じだけ移動したということができるように思われる(証人西尾宣明の供述)。そのような動きがなかつた理由として、久宝証人は「鳥居建はガス管の下からずつと地下鉄構築の天井まで来ているので高さが非常に高く全体的に砂の影響を受ける。ガス管は両端が固定されているから動かない」と述べ、あるいは「ガス管は鋳鉄で、鳥居建は木だから同じ荷重を受けると鳥居建が動く」と供述しているが、前記のとおりガス管は四メートルごとにある程度曲げることのできる継手(ジョイント)でつながれており、周囲の土の移動と共に動きえたと考えられ、他方、自動車荷重の影響は前記のとおり地表近くの範囲に限られていて、鳥居建支柱丸太を底の方から動かすことはあり得ないというべきであるから、木製であるからといつて、自動車荷重により鳥居建の方が大きく動いたとする同証人の説明には首肯し難いものがあるといわなければならない。

以上を総合して、埋戻完了後に自動車荷重が本件各鳥居建移動に及ぼした影響はきわめて少ないと認められる。

(2) 傾いた鳥居建による牽引説

検察官はまた冒頭陳述における本位的事実として、すでに傾いて方杖を付された鳥居建A・B・J・Kが埋戻終了後もなお傾斜角度を増大させたため、水平継材で連結された他の鳥居建もこれに拘束されて傾斜してゆき、いずれもガス管から外れてガス管支持の役割を果たさなくなつたと主張し、久宝証人も鑑定書(五三―一丁)で右検察官主張に副う意見を述べ、公判廷においても当初は検察官の主尋問に対して右供述を維持していたものの、弁護人の反対尋問に対し、「水平継材は支柱にボルトで取り付けられているが、ボルトの穴はやや大きく遊びを持たせていること、水平継材(前記のとおり半割りの松丸太)の材質からして、たわみあるいはボルトのところでこじれて欠け(甲一16の実況見分調書中、現場の模様五(2)にその例が記載されている)、あるいは折損しやすいものであるから、鳥居建のうちひとつふたつが傾いても水平継材によつて他に傾きが伝わることはまずない。隣りの鳥居建は若干傾かせることがありうるとしても一〇基以上も傾かせることはない。鳥居建PとQの間に水平継材はなく、したがつて鳥居建Qや同Rには、方杖の付された鳥居建J・Kの傾きが伝わることが全くありえないのに、右QやRもJ・Kと同じ方向に変位しており、これによつて、他の鳥居建の傾きに引張られたのとは別の原因で鳥居建Qや同Rなどの傾きが生じたといえる。」「埋戻が終り、仮舗装が終つた段階では、一、二の鳥居建が傾いたからといつて、土が動かないのに水平継材が引張つて他の鳥居建を動かすことはあり得ない。一つの鳥居建が横に動き、そのため隣りの鳥居建も動くということは、土が入つていない、鳥居建をつくつた直後の方が大である」と供述を全く変更するに至つているのであり、証人沖津明の供述するとおり、もし鳥居建J・Kの変形により水平継材を通じ鳥居建HないしRの変形が生じたものとすれば、鳥居建J・Kが特別に外側に変位して一番大きな変位量を示していなければならないわけであるが、この二基の鳥居建は前記のとおり埋戻終了後殆んど動いていないと認められるのであるから、何らかの他の力によつて右HないしPの各鳥居建が横移動するに至つたものと考えざるをえないのであつて、この点に証人渡辺隆の供述等関係証拠を総合すると、前記検察官の主張する事実を肯認する余地はないというべきである。

(3) 斜めの笠木に作用したガス管荷重説

証人星埜和は、ガス管には鉛直方向に非常に強い荷重が加わつており、これが斜めになつた笠木を押すと、笠木を含めて鳥居建を横方向に動かすことがありうる。ガス管が鳥居建の両支柱の間に入つているときにはそのような横方向の力は働きにくいが、ガス管が両支柱から外れるほど鳥居建が傾き、笠木の傾斜角度が大きくなればなるほど、横方向の力が大きくなる。本件において埋戻終了後に鳥居建が横移動した原因としては右のような力の作用以外ほとんど考えられないと述べている。

ガス管にきわめて大きな鉛直方向への荷重が作用したと認められることは前記のとおりであり、この力で斜めになつた笠木を押した場合に、その力の一部が水平方向に笠木を押す力として作用しうることはたしかであるが、前記のとおり笠木と支柱丸太とは釘ないし鎹で連結されていて、さほど強い緊縛力を有しているとは考えられず、しかも支柱が六ないし七メートルもの深さの土中に埋まつており、土でしつかりと支持されているのであるから右水平方向への力を支柱まで伝えてこれを動かすことはかなり困難であると思料される(証人重松通夫の供述)ところ、星埜証人自身も支柱を動かすことは非常に難しい、ことにガス管が両支柱丸太の間にあるときは、笠木も水平に近く、水平方向への力を支柱に及ぼすことはない旨供述しているのである。前認定のとおり鳥居建Fは埋戻終了後ガス管を両支柱の間で支持していたのであるが、その状態からなお横移動しているのであり、また事故発生時にはガス管と笠木とが離れていた鳥居建A・B・Cについても埋戻終了後に横移動が起こつたと認めざるを得ないこと前記のとおりであつて、右ガス管の押す力以外の原因で横移動が生じたと考えざるをえないのである。星埜証人は実況見分時ガス管が笠木から離れていたものがあるが、それは掘削の際ガス管が弾性により元に戻つたものである旨証言しているけれども、これを肯認することができないことは前記のとおりである。

以上述べたところを総合すると、到底、斜めになつた笠木に作用するガス管荷重を有力な原因として、埋戻終了後の鳥居建の移動を説明することはできないというべきである。

(4) 埋戻土砂の密度差による偏土圧説

証人渡辺隆は「埋戻土砂が沈下を生ずる場合、その土砂の締め固めの程度に差があると、土砂はよく締め固められたところから、ゆるいところへの横移動をする傾向を示すと考えられ、本件地盤内ではこのような横移動を生じた可能性が大きい」と供述し、このような横移動によつて鳥居建支柱傾斜移動が起こつた旨証言している。星埜証人も鳥居建支柱の左右の土砂に密度差がある場合、支柱に働く土圧は密度の高い土砂によるものの方が大きいから、これと密度の低い土砂による土圧との差が偏土圧として支柱に働き、これを横方向に移動させることが理論上はありうる旨供述している。

本件事故現場付近において地盤沈下が生じていたことは前認定のとおりである。そして証人増田和弘、同細野光二及び被告人築山の各公判廷供述を総合すると、本件ガス管はある所では土留近くに寄つていて、管と土留との間が狭過ぎて砂の投入ができなかつたり、交通の関係でガス管の両側から砂が投入できるような作業帯をとることが難しかつたことなどのため鳥居建の列の片側にのみ土砂を投入せざるをえないことがあつたこと、ことに本件ガス管折損地点(鳥居建E付近)から巣鴨寄りではガス管と海側土留との間隔が狭く、その間にトラックから土砂を落とす余地はなく、従つてガス管の山側からのみ埋戻土砂を投入していたこと、ガス管折損地点である石井テント店前辺りでは、初めは山側から土砂を投入していたが、半分くらい埋つてきた段階からは海側からも投入したこと、右地点よりも志村寄りでは中間杭とガス管の間が狭くなるので、海側に土砂を投入したことがそれぞれ認められる(なお、被告人小原の弁護人は右志村寄りの地点〔鳥居建A'・A・B・C〕の付近には、山側からも土砂の投入がなされていた旨、飯田英男作成の写真帳作成報告書〔甲一194〕No.5の写真及び証人林藤男及び同白戸光頼の各供述に伴つて主張しているが、右写真は後記のとおり測点一九五付近の鳥居建を撮つたもので、手前から七基目が鳥居建Aと認められるところ、手前の数基の鳥居建の付近ではたしかに山側に埋戻土砂が山積みされていることが明らかであるものの、それより奥も同様の状況であるかどうかは判らないのである。また同弁護人が別の事項について主張しているとおり、林藤男は鳥居建の位置やその状況についてどれほど正確な記憶を保持しているかどうか疑わしいといわざるをえないのであり、白戸光頼の証言については、同人が鳥居建の下の方にはあまり砂が入つていなくて山側の方に山盛りになつていたといつているのが鳥居建A付近のことまで含むものとは必ずしも解せられないのであつて、同弁護人の挙示する証拠によつても右主張事実を認定することは困難というべきである。却つて右No.5の写真の手前山側の土砂はその山側の共同溝の上に落とされて、そこから右写真の箇所まで移されたものと認められる〔被告人築山の当公判における供述〕ところ、後に認定するとおり、鳥居建A'ないしCの付近では、その近くの測点一九四プラス四の箇所のカラーコンクリート工事が右の写真の撮影された昭和四三年一〇月三〇日にはまだ打設されておらず、しかもこれはかなり後の時点まで打たれなかつたものと考えられ、その間その近くでは共同溝の上に土砂を落として埋戻すことは勿論、共同溝と鳥居建の間に落とすこともできなかつた〔右認定のとおり、その間はもともと狭くて土砂投入は困難であつたことにもよる〕と認めざるをえないのであつて、右各鳥居建についてはその海側からしか埋戻がなされ得なかつたものと認定するのが相当である)。

そのために埋戻の段階において投入された土砂の山の偏土圧により鳥居建傾斜が起こつた可能性が考えられることは前記のとおりであるが、さらにこの山を前記のとおり人夫がスコップでかきならし、鳥居建の列の間及びその列を越えて反対側に砂を移動させるという方法をとつていたうえ、前記のように不十分な水締めによる締固めしかできなかつたことから、鳥居建の間及び反対側の狭い部分には砂がまわりにくく、そこでは土砂が密度の低い状態におかれるということがあつたことは容易に推認しうるところである。そうした場合、その部分と、埋戻土砂が山積みされ、その自重によつてもかなり締め固められたと考えられる土砂投入の側とでは、埋戻土砂の密度にかなりの差異が出たことは十分に考えられるのである。本件事故現場近くの前記の土砂投入の場所では土砂の密度が高く、その反対側では密度が低く、右の高い方から低い方への偏土圧が鳥居建に作用してこれを傾かせたとすれば、前記のとおり、事故後ガス管と傾斜した鳥居建頭頂部の列とが、鳥居建Eの箇所を頂点としてX字型に交叉していた事実と相応するものといわなければならない。

前記渡辺証人のほか、証人西尾宣明、同保国光敏もこのような土砂の密度差を原因とする埋戻終了後の鳥居建移動の可能性を肯認する供述をしているうえ、証人久宝保も第五六回公判以降の尋問の過程で、右の可能性を一応認めるに至つている。しかしながら星埜証人は、土砂の密度差による偏土圧を原因とする鳥居建の傾斜移動の可能性が理論上存することは前記のとおり認めながら、「土砂の密度差によつて、それも埋戻が完了してからあとの段階で、鳥居建の動きが二〇ないし三〇センチメートルほどにも大きくなるということは考えられない。特に密度差を非常に大きくするというような特殊な条件をつくり出さない限り、密度差だけでそんなに動くことは非常に稀なことであると思う。相当密度差があれば、鳥居建は工事中に変形したと考える。もしそれだけの密度差がありながら、鳥居建が工事中には全然変形をせず、工事が終つたあとで密度差による変形が起こつたとすればそれは奇蹟だと思う」と述べ、埋戻終了後の鳥居建移動の主たる原因として密度差を考えることには否定的な見解を示しており、検察官もこれに依拠して同旨の主張をしている。

そして、久宝証人は、本件において密度差により鳥居建の傾斜移動が生じたとするには移動量が大きすぎると証言しており、渡辺証人自身も、埋戻土砂の密度差だけで二〇ないし三〇センチメートルも地盤が横移動することは多少大き過ぎるとも証言している。しかし同証人は「一〇センチメートル程度の移動であればかなり可能性も大きい」と述べ、また「密度差だけで二〇ないし三〇センチメートル動くことが絶対にないとはいえない」とも述べている。そして証人西尾宣明の供述及び東京ガス総合研究所作成の「他工事が埋設管に及ぼす影響について」と題する書面によれば、東京ガスが実験をして、地下鉄工事のため掘削した箇所の外側在来地盤(これを「地山」という)中の、土留杭から3.2メートル離れた箇所(深さ約二五センチメートルないし八〇センチメートル)に数個の沈下球を埋め、掘削箇所の埋戻が終了し土留杭が引き抜かれた時点から約三か月間の沈下球の移動量を測定したところ、掘削箇所寄り斜め下の方向へ5.25ないし8.7センチメートルの移動が認められたこと、なおこれらの沈下球の下で地表から九〇センチメートルの深さに直径一〇センチメートルのガスの鋳鉄管が埋設されていたが、これも右の期間内に沈下球と同方向へ六センチメートル移動したこと、すなわちガス管も沈下球と同じような、そして同程度の移動を示したこと、同様の移動はビル建設の工事現場やケーブル埋設工事現場の周辺においても見られ、しかもこれらの各現場における実験により沈下球の移動量は地山の中でも掘削箇所との境(すなわち土留杭のあるところ)に近ければ近いほど大きくなるといえることがそれぞれ認定できる。

以上の実験結果をもとに西尾証人は、右沈下球の動きに見られる地山から埋戻されたゆるい地盤への土砂の移動は、固くしまつた地山部分の土の変形に対する抵抗力の妨げがあるので急には起こらず、まず埋戻土砂中の密度の高い部分から低い部分への移動が起こり、その移動量も大きいと考えられるうえ、右実験をした地下鉄工事現場の地山の土質はローム質で動きにくいのに、それですら、しかも土留から3.2メートルも奥の方で五ないし八センチメートルもの移動を示したのであるから、本件埋戻土砂である山砂の場合にはこれに対比して大きな移動をすることが十分に考えられ、二〇ないし三〇センチメートルの移動もあり得ない数値ではないと証言している。そして第五九回公判において久宝証人に対する尋問の過程で示され、同証人によつて正しさが確認された数式により算定すると、一立方センチメートルあたり1.4グラムの土砂が締め固められて、同体積あたり1.5グラムになつた場合、体積は6.7パーセント減少すること、すなわち一立方センチメートルあたり1.4グラムの土砂が四メートルの深さに入つていて、これが一様に同体積あたり1.5グラムに締め固められ、体積減少がすべて沈下の形であらわれたとすると26.8センチメートルもの沈下が起こるといえるのであり、本件現場付近の土砂埋戻空間は、前認定のとおり深さがガス管の所から六ないし七メートル、幅約一一メートルにも達するから、右の程度に締め固められても沈下量はきわめて大きく、鳥居建の左右で土砂の密度に右のような差がある場合の横方向への土砂の体積の縮小、すなわち土砂の移動は相当程度に達したものと考えられること、前記のとおり本件工事現場においては、地下水があり、ウェルポイントにより地下水位を下げて施工し、埋戻終了後にこれを旧に復したのであり、このことによつて埋戻土砂の相当部分が水に浸つて非常に動き易くなり(渡辺、星埜両証言)、土砂の密度が一様になる方向への移動が促進されたと考えられること等の諸点が指摘できる。

以上を総合すると、右西尾証言には合理性があるというべきであり、同証言にいわれている程度の埋戻土砂の移動は十分に起こりえたものと認めることができる。検察官は右証言について、「本件各鳥居建の移動量が二〇ないし三〇センチメートルであることを前提とする点において失当であり、また証言中の実験は、あくまで自然地盤の掘削部分へのはらみ出しに伴う地山内の動きを測定したもので、本件のような掘削部分の内部における埋戻土砂の移動とは様相を異にし、渡辺証人も自然地盤と掘削地盤の間で起きる移動量よりも埋戻砂内における移動量の方が小さいとの判断を示していることと矛盾する。さらに、西尾証人は砂の横移動量はすなわち鳥居建の横移動量であることを前提としているように思料されるが、砂の横移動の影響はあくまでそれに起因する偏土圧として鳥居建に作用するものであつて、鳥居建はそれ自体のもつ抵抗力を超過する偏土圧が加わつたときに初めて移動するものであるところ、右偏土圧によつて発生した砂の横移動は、その進行と同時に砂の安定・偏土圧の減少をもたらす傾向もあるなど、西尾証言のように単純には考え得ない」と主張している。しかしながら、埋戻終了後の鳥居建移動量が十数センチメートルよりも大きいものであつたと認定すべきことは先に詳述したとおりであり、自然地盤内の動きを測定した点については、西尾証言は検察官主張のような様相の違う点や渡辺証言のいう移動量の違いを当然の前提とし、それらの関係で問題となる点に即して詳細な検討を試みているのであつて、その説明には納得しうべき根拠が存することを否定することはできないというべきである。そして、偏土圧に関する主張については、星埜証人が同旨の証言を行つているのであるが、同証人も述べているとおり、砂の横移動で鳥居建の傾斜移動を説明する者も、もちろん偏土圧をそこに考えているけれども、あまりにも当然のことなので省いているにすぎないと認められるのであり、砂が横移動により安定し偏土圧の減少をきたすとの面があるとしても、その安定する前に大きく、全体として移動するときは、鳥居建のような材質、構造のものはひとたまりもなく傾斜変形してしまうものと考えられる(証人渡辺隆の供述)から、右星埜証言に基づいて前記西尾証言を不合理なものとして排斥することは到底できないものというほかはない。検察官の右主張は失当といわなければならない。

また、埋戻土砂の密度差による移動を原因と考える場合にも、前記のとおりガス管が動かなかつたのに本件各鳥居建のみが動いた理由はやはり問題となるのであるが、渡辺証人はこの点につき「受防護が周囲の土の移動等により個々に横移動し易い構造であるのに対し、ガス管は剛性が大きく、しかも長く連続しているため両者の動きが区々になつたのである。また、ガス管付近は道路の舗装構造から考えると良質土砂で締め固めることが原則なので両側での密度差は少く、したがつてガス管そのものの横移動が少かつたものと考えられる」旨述べており、証人保国光敏も「ガス管は長くつながつており、土が全体として一斉に動いたのではなく部分的に動いたので管は動かなかつた」と証言しているのであつて、この説明によれば土砂の密度差による鳥居建の移動の見解が本件各鳥居建の動きとガス管の動きが区々になつたことと矛盾するものでないばかりか、相応するものであることが明らかであるということができる。

(5) 結論

以上(1)ないし(4)を総合すると、埋戻終了後の鳥居建傾斜横移動の主たる原因が埋戻土砂の密度差による偏土圧にあると認めるのが相当であり、これに(1)の自動車荷重及び(3)のガス管が斜めになつた笠木を鉛直方向に押す力の作用等がごくわずか副次的に加わつたものと考えられる。

そして埋戻終了前後の鳥居建傾斜移動の原因につき以上に述べたところを通観し、右(二)(4)に認定した本件各鳥居建付近における埋戻土砂の投入箇所及びガス管と鳥居建頭頂部の列とがX字型をなすように交叉し、鳥居建A・B・Cの群と同FないしK等の群とがそれぞれ埋戻土砂が投入された箇所と反対の方向に傾斜・移動し、かつ、各群に属する鳥居建は相互に似た態様で同じ程度の量の移動を示していたこと、及びその他前記第三・一において認定した諸事実に関係証拠を総合すれば、右のように偏つた側への埋戻土砂の投入がなされたこと等により、埋戻の過程で前記(一)(1)ないし(4)の原因で、右各群に属する鳥居建はそれぞれ、ほぼ同一の時期に、各鳥居建がガス管から両支柱が外れるしばらく前の状態(A・B・J・Kについてはこれが外れた状態)にまで傾いたうえ、さらに埋戻終了後右のとおり埋戻土砂の密度差による移動に伴う偏土圧を主たる原因として本件各鳥居建の傾斜移動が起こり、これらがガス管を支持しなくなつたものと認めるのが相当である。

第四  各被告人の本件ガス管防護工事への関与

一  各被告人の経験、職務と工事への関与

(一) 被告人吉村について

被告人吉村の当公判廷における供述、司法警察員に対する昭和四四年一二月八日付(一項ないし一五項のみ。ただし被告人小原の関係を除く。乙3)及び検察官に対する昭和四五年四月二三日付(一、二項のみ。ただし被告人小原の関係を除く。乙5)各供述調書、証人山田孫一及び同斎藤延の各供述、長野泰雄の検察官に対する供述調書(甲一137)を総合すると、被告人吉村は中学校を卒業後本籍地で農業を営む傍ら、昭和三五年ころから長野工業で、季節労務者として、毎年四月ころから一二月初めころまでの間稼働するようになり、発電所、ダム、造船所の建設工事現場で土工ないし鳶職として働いたあと本件地下鉄工事に従事するに至つた者である。同工事に際し、同被告人は、長野工業の鳶班長(世話役)として、斎藤延職長及びその下で鳶工長を務める山田孫一の下で数名の鳶職を指揮しつつ、地下鉄建設及び本件ガス管受防護工事等の付帯諸工事を施行する業務に従事していた。施工に当つて同被告人は長野工業の職長が鹿島建設の現場監督(工務係)職員から指示された作業の割当てを受けてこれを分担し、右職長ら上司及び鹿島建設の工務係職員の指揮監督を受けながらこれを行つていたことが認められ、本件鳥居建受防護については後記(第七、第八)のとおり、鳥居建A・Bに方杖を取り付ける作業を行い、鳥居建J・Kの方杖付けを作業員を指揮して行わしめるなどの関与をしたことが認められる。なお同被告人の弁護人は「被告人吉村は、鳶職班長という地位にはあるものの、職長らより指示命令された部分的な作業を機械的に処理すべき立場にあつて、数人で一緒に作業を行う場合、率先垂範すると共に連絡係的な役割を果たす者にすぎず、仕事を一任され、作業員を指示命令ないし指揮監督すべき権限は全く有していなかつた」と主張しているのであるが、右に掲げた各証拠によれば、長野工業では、職長の下に数名の工長が置かれ、各工長の下に数名の班長がおり、各班長の下に数名の作業員がいるというピラミッド型の組織になつており、この種の組織体が一体となつて効率よく作業を進めていくためには、右班長に当る立場の者に末端の作業員らの仕事を指揮監督する権限が付与されているのが通例であつて、長野工業でも同様であると解するのが自然であるというべきところ、被告人吉村自身が「私は他の鳶人夫を使い、その者と一緒に仕事をする」旨供述し(右乙3の供述調書)、証人橋間隆夫が「自分は世話役(班長)の指図を受けて仕事をしていた」旨公判廷において明確、かつ、十分に質問内容を理解した上で証言していると認められるのであつて、これに反し弁護人の右主張に副う同被告人の公判廷供述は不自然であり、自己の責任を回避するためのものと目され、信用性に乏しいというべく、同被告人は前記のような権限を有しているものと認定するのが相当である。

(二) 被告人築山について

被告人築山の当公判廷における供述、司法警察員に対する昭和四四年一二月六日付(被告人小原の関係を除く。乙22)及び検察官に対する昭和四四年五月一日(乙25)各供述調書、証人増田和弘、同末重雅敏、同細野光二、同沖津明の各供述を総合すると、同被告人は昭和三九年日本大学工学部土木工学科を卒業するとともに鹿島建設に入社し、首都高速道路工事や東京都下水道局のポンプ場工事を経たのち、昭和四一年五月から同四四年七月ころまでの間、前記の同社中央出張所板橋作業所に所属して本件地下鉄工事の板橋工区第二工区の担当工務係として、同作業所長及び第二区工務係長増田和弘の指揮監督を受けながら、主として杭打ち、杭抜き、覆工、本件ガス管受防護を含む埋設物防護に関する作業の現場監督の業務に従事していたことが認められ、本件ガス管受防護については後記(第七)認定のとおり、鳥居建A・Bの方杖取付を被告人吉村に指示するなどの関与をした者である。

(三) 被告人早川について

被告人早川の当公判廷における供述及び検察官に対する昭和四五年五月八日付供述調書(乙43)、証人加瀬谷和夫、同大久保勲及び同近藤瑛一の各供述を総合すれば、同被告人は昭和三九年日本大学理工学部土木工学科を卒業して交通局に技師補として入局、高速電車建設本部計画課に所属し、同四〇年技師となり、同四一年五月から同建設本部三建事務所に移つて、同事務所土木工事第一係の担当者として、本件地下鉄建設工事板橋工区の工事担当者大久保勲を補助して、同工区の請負建設業者からの部分金請求や支障物件処理関係の事務を主として担当したほか、同工区の本件ガス管受防護工事を含む各種工事の施行監督の業務に従事していたことが認められる。

(四) 被告人小原について

被告人小原の当公判廷における供述、検察官に対する昭和四五年五月八日付供述調書(一、二項のみ。乙60)、同被告人の経歴書(弁B18)、土田孝の検察官に対する供述調書(甲一115)を総合すると、同被告人は昭和三五年千葉県立安房水産高等学校を卒業して冷凍会社に勤めたあと同年一二月東京ガスに入社し、本社導管管理課に所属したのち、昭和三八年八月北部供給所に移り、半年ほど改修工事係となつたことはあつたが、その期間を除いては他受工事係として、他企業による建設等各種工事に際してのガス供給施設の保安の確保及び機能保持のための立会確認及び巡回点検等の業務に従事していたことが認められる。

二  本件ガス管防護工事についての立会確認(被告人早川、同小原の職務)

(一) 立会確認の実施

押収してある確認書(押符二四号、二五号、二七号ないし二九号・甲二56、57、61、62、65)、被告人築山、同早川及び同小原の当公判廷における各供述に関係証拠を総合すれば、本件地下鉄建設工事に際し、東京ガス、交通局及び鹿島建設の三企業からそれぞれ係員が出て立ち会い、ガス管防護工事の適否を、保安の確保とガス管の機能保持の観点から検査する立会確認を実施していたこと、その時期は、右各証拠に証人柴山清、同鳩山弥一郎、同原田義次及び増田和弘の供述を総合すれば、少くとも、受防護完成(笠木も載せ終つた)時点でこれが行われたことはたしかであり、またその前にも、鳥居建の根固め工事が終了した段階で、それだけについての立会確認が行われることもあつたことが認められる。

そして、以上の本項掲記の各証拠によれば、つぎの各事実が明らかである。板橋工区第二工区のガス管受防護については、鹿島建設の工務係でこれを担当していた被告人築山が、確認を受けるべき工事が終了すると、根固め工事終了の場合には電話あるいは口頭で、受防護完成の場合にはその受防護の写真と確認検査を受けるべき区間を示す平面図及び殆んどの場合これに受防護の構造図を添えた資料を三部送付して、交通局三建事務所の担当者である被告人早川に工事の終了を知らせ、同被告人は東京ガス北部供給所の他受工事係と連絡をとつて立会確認の日時を決め、その日時に右三企業の係員(多くの場合被告人築山、同早川及び東京ガスからは被告人小原ないしは原田義次)が立ち会つて確認検査を実施した。なお、鳥居建完成後の検査の場合、被告人早川は、「確認書」との表題の下に、「工事件名」、「工事場所」、「確認月日」、「確認事由」の各欄が設けられており、その下に「上記のとおり確認した」との不動文字が印刷されたうえ「検査員」として検査者の記名押印欄がある用紙の、「確認月日」及び「検査員」の欄を除くその余の各欄に必要事項を書き入れたものを三部作成して、それぞれ一部ずつを前記のとおり鹿島建設から送付を受けていた資料に添付して用意し、確認検査に臨んでいた。右検査の結果、受防護を手直しする必要がないとされると、被告人早川は右確認書用紙及び資料を東京ガスから立ち会つた係員に三部渡して「検査員」欄にその記名押印を求め、該職員が記名押印して作成した確認書を一部は東京ガスに保管し、他の二部を被告人早川に返却すると、同被告人がこれらの「確認月日」欄に日付を記入し、そのうえで一部を鹿島建設に渡し、残り一部を自ら保管するという扱いをしていた。立会確認の結果、手直しを要することとなつた場合は、鹿島建設が必要な工事を実施したうえ再び立会確認を行い、最終的に合格となつた段階で、右のとおりの確認書作成・保管等の手続がなされていた。

(二) 立会確認が行われるに至つた経緯と被告人小原の任務

黒川博重の司法警察員に対する昭和四四年五月一九日付供述調書(甲一87)、神山康の司法警察員に対する同年四月二六日付供述調書(甲一89)、駒田義雄の司法警察員に対する同月一九日付供述調書(甲一91)、鳩山弥一郎の司法警察員に対する同年三月二七日付供述調書(甲一98)、前記「高速電車建設本部の施工する工事に伴うガス施設防護工事に関する協定書」(写)(甲追加分四4)、「ガス導管ハンドブック」(押符六号・甲二17)、被告人小原及び証人鳩山弥一郎の各公判廷供述を総合すれば、つぎの各事実が認められる。

前記(第二・一(二))のとおり、交通局と東京ガスとは、昭和三九年三月に「高速電車建設本部の施工する工事に伴うガス施設防護工事に関する協定」を締結していたが、その中で、「東京都交通局はガス導管路線及びその附近地域で工事を行う場合、照会文書を東京ガスに発行する」旨を取り決めていた。東京ガスはガス導管等ガス施設に影響を及ぼすような工事を行う諸企業との間で同様の協定を結んでいたが、同社は右各企業に対し、各協定に基づいて発する照会文書は、「このたびは下記のとおり……工事を施工することになりましたのでお知らせいたします。つきましては万一貴所管のガス施設に影響ある場合には、その都度連絡いたしますから、その節はよろしくお立会願います」との文言を含む書式によることを求め、施工企業が右のようにして要請して来た場合、東京ガスの職員が該工事に立ち会つて、かかる工事によりガス供給施設が保安上危険な状態に陥り、あるいは同施設が機能を保持し得なくなるといつた事態を防止すべく監視することとしていた。

交通局は、昭和四一年四月二八日、同局長名で東京ガスあてに書面を送り、本件地下鉄建設工事中支障となるガス施設の処理工事、工事中の現場立会及び見まわりを要請し、その費用は同局で負担する旨を申し出、東京ガスは同年八月、取締役社長及び北部供給所長名で交通局長あて右要請を承諾する旨の書面を発した。東京ガスはこれに基づいて下請の日成建設株式会社に定期的見まわりをさせるとともに、東京ガス職員による地下鉄建設工事の初めの前記の試掘及びガス管に近接する杭打ち工事に立会及び前記(一)のガス管防護についての立会確認を行つた。また、右立会の結果、防護工事には手直しを要する等の不都合なところがないと認めた場合、その旨を証明する確認書を該職員が作成することについても、交通局と東京ガスとの間で話合いが進められ、昭和四一年六月八日、志村坂上工区で初めてかかる確認書が作成交付されたあと、これが他工区でも行われるようになり、その間、その書式や作成方法も前記のようなものに定まるに至つた。

以上によれば、ガス工作物の維持、ガス工作物の工事・維持等に関する保安の確保の責任を負つているガス事業者(ガス事業法二八条、三〇条)たる東京ガスの職員であつて前記のとおり職務を担当していた被告人小原が、交通局から要請されたガス管受防護工事についての立会確認に際し、その工事がガス施設の保安及び機能保持の観点から適切に施行されているか否かを検査すべき任務を有していたことは明らかである。

(三) 被告人早川の検査の任務等

前記のとおり、本件ガス管受防護工事についての立会確認は、東京ガスの職員のみならず、施工にあたつた鹿島建設の工務係職員、そして交通局の職員の三者が集まつて行われていた。このように三者の立会を求める法規や取決めは特に存しないのであるが、鹿島建設の職員は、工事につき説明を行い、手直しの指示等を受けるため立ち会つていたことは明らかであり、交通局職員についても同様の目的が存したことは認められる(証人神山康の供述。)検察官は、交通局の現場監督職員は、右の目的で立ち会つていたというだけではなく、東京ガスの職員とは別に、交通局職員の立場からガス管受防護工事の適否を検査する任務があつたとし、被告人早川はその任務遂行のためにも立会確認に加わつていたと主張しており、同被告人及びその弁護人は、交通局職員は東京ガス係員の検査に立ち会い、その指示を受け、あるいは確認書を渡すだけの役割しか負つておらず、確認検査の義務は有していなかつたと主張しているので、この点について検討を加える。

「東京都交通局契約事務規程」(押符五二号・甲追加分二3)、「地下鉄建設工事請負契約書(その一)」(押符一号・甲二3)、「地下鉄建設工事における確認事項の処理について」と題する書面(押符五三号、甲追加分二4)、黒川博重の司法警察員に対する昭和四四年五月一九日付供述調書(甲一87)、証人神山康、同蝦名邦盛及び同駒田義雄及び被告人早川の各公判廷供述を総合すると、つぎの各事実を認定することができる。

鹿島建設は、本件地下鉄建設契約により、工事現場の取締及び工事に関する一切の事項の処理を交通局の監督又は指示に従つてしなければならないこととされ(同契約書七条二項)、使用材料(九条一項)、完成工事(二〇条二項)等につき交通局の検査を受けることを義務づけられていた。そして交通局は、その契約事務規程中に、同局のする検査について、検査を担当する者その他の諸事項につき詳細な規定をおいており、その中で、右の「検査」には「契約についての給付の確認(給付の完了前に代価の一部を支払う必要がある場合において行う工事若しくは製造の既済部分または物件の既納部分の確認を含む)も含まれる」とされており(同規程六九条二項)、かかる検査に合格した後に請負代金の全部ないし一部の支払がなされることとなつていた。ところで、交通局は、本件地下鉄工事の施行中、地下鉄工事における右のような検査に関し、「従来検査員による確認事項として処理してきた一部の事項について、昭和四三年一一月一日から、これを工事担任者の監督的業務内容として実施する」との変更を行つたが、右「一部の事項」の中には「埋設関係」のものも挙げられていた。

検察官は、右変更された扱いが埋設関係を包含するとされている点を根拠として、工事担任者は鳥居建工事竣功後、埋戻前に確認検査を実施する義務を有していた(したがつて被告人早川らの工事担当者には、工事担任者を補助してかかる検査を実施する義務があつた)旨主張しているのであるが、前掲各証拠によれば、昭和四三年一一月一日以前に鳥居建工事竣功後、その検査を交通局検査員が行つていたことはなかつたことが明らかである。その理由としては、鳥居建のような仮設的なものは都の財産になり得ないから検査の対象とならない(前記駒田証言)、あるいはガス管のように管理者が他にあるものについては交通局だけの検査をしても意味がない(前記神山証言)などと説かれてはいるが、いずれにせよ交通局においては、ガス導管の受防護工事が、検査員(ないし変更後は工事担任者)が実施することとなつていた確認検査の対象とはならないものと解釈運用されていたことが明らかであり、それが確立された慣行であつたとも認めることができ、右扱いは以上の諸点に照らして相当というべきである。

しかしながら、東京都交通局工事規定(甲追加分一6)によれば、工事担任者の服務心得として「設計書、契約書及び工程表に基き、工事の位置、順序及び方法を指示し、かつ、工事の実施方法を監視して、これに適合しないものがあるときは、直ちに改造または補修させること」、「地中に埋設する工事その他しゆん工後外部から確認し難い工事は、必ず工事担任者が立会のうえ実施させること」とされており(三三条一、四号)、前記のとおり受防護工事は交通局が自らの責任と費用で、鹿島建設を監督しこれに指示を与えつつ施工させるものであつて、右服務心得中の「工事」に当然含まれるものというべきであること、三建事務所長であつた神山康は「受防護について東京ガスの職員も立ち会つているから交通局の職員は詳しい点検をする必要はないといえるかもしれないが、立ち会つても自ら点検をする義務はないなどという指示や承諾を与えたことはない。不適切な工事を現場で見つけたら、業者に指示して直させなければならない」と証言し、同じく同事務所長をしていた黒川博重も、「確認に際しては担任者又は担当者に必ず立ち会うように指示している。独自に設計書どおり施工されているか否かを見る必要があるからである。管理者から指摘された箇所でなくとも、自分で欠陥を見つけたときは業者に注意して改めさせるばかりでなく、上司に報告する義務がある」旨述べている(前記甲一87の供述調書。なお、もと交通局高速電車建設本部長であつた駒田義雄も同様の見解を表明している)。以上に関係証拠を総合すれば、三建の工事担任者及びこれを補助する被告人早川ら工事担当者は、ガス管受防護工事の立会確認に立ち会い、自らも受防護工事が適切に施工されているか否かを点検し、不適切な場合には手直しその他の必要な指示を鹿島建設の担当者に対して与えるべき任務を有していたものといわなければならない。以上説明した限度において前記検察官の主張は肯認すべく、被告人早川及びその弁護人の主張は採用することができない(なお同被告人の弁護人はその主張の根拠として諸種の点を掲げているが、いずれも右の判断を左右するに足るものとはいえない)。

第五  本件死傷の結果の予見可能性

一  ガス管折損と死傷の結果に対する予見可能性の関係

さて、以上に認定した諸事実にもとづいて、被告人らにとつて本件死傷の結果が予見可能であつたか否かを検討することとする。本件において、本件中圧ガス導管が折損すれば、いかなる経路に因るかはともかく、ガスが住宅密集地域の直中に噴出し、そのため爆発による火災あるいは一酸化炭素中毒等により人の死傷の結果を招来する可能性があることは何人も容易に予見することができたところというべきであるから、本件死傷の結果についての予見可能性の有無は、本件ガス管折損の事態が予見可能であつたか否かを検討することによつて判断しうるというべきである。被告人吉村及び同築山の弁護人は、本件ガス管の折損によつて漏洩したガスが石井方に充満する原因となつた下水施設の管理瑕疵やガス管折損後の東京ガスの不手際等は工事関係者の予見し得ない内容のものであるから、本件事故につき被告人らに予見可能性はないと主張しているのであるが、過失犯成立のためには現実に生起した結果に至る具体的な因果の経過全部についての予見可能性まで要するものではなく、因果関係の重要な部分に対するそれを以て足りると解すべきところ、右重要な部分とは、因果の経過のうちで、その「事実」が予見できる場合は一般人にとつて、通常、構成要件的結果(ないしはこれを予見せしめ得る他の「重要な部分」)に対しても予見可能性があるといいうる「事実」を指すものと解するのが相当である。そして、右のとおりガス管折損はまさにかかる「事実」に該当するのであつて、仮にこれに対する予見可能性が肯定されるならば、弁護人主張の下水施設の管理瑕疵や東京ガスの不手際といつた事項にかかる予見可能性は問題とするまでもなく前記弁護人の主張は失当といわなければならない。

二  埋戻中の鳥居建の傾斜と手直し

前認定のとおり埋戻の終了前にAないしC、FないしKの本件各鳥居建は大きく傾斜変形し、そのため笠木がガス管から離れているもの、あるいは両支柱丸太の頭頂部がいずれもガス管より山側あるいは海側に移動してしまつてこれを支えられない状態になつているもの(A・B・J・K)があつたのであり、この状態のままで土砂埋戻がなされたならば、相当数の鳥居建はほとんどその役割を果たさず、そこに土圧等の垂直荷重が加わつてガス管に歪みを与えるように作用し、あるいはいずれの部分かに支点形成を生じてガス管の折損に至る可能性の存することが何人にも認識し得るような、危険な状況にあつたということができる。しかしながら、本件においては、前認定のとおり、右のように傾斜変形した鳥居建の笠木と支柱の間にパッキングが入れられ、A・B・J・Kの鳥居建には方杖が取り付けられるなどの手直しが施されたのである。そこで右手直しの結果本件各鳥居建がいかなる状態になつたかについて検討することとする。

方杖を付された各鳥居建について。これらの方杖に使われた角材は、鳥居建A・Bのそれが八センチメートルないし9.5センチメートル角のいずれもツガ材であつて(検事広畠速登作成の実況見分調書〔甲一15〕)、本件各鳥居建の笠木に使われたものと同等ないしこれに準ずる太さのものであり、このような木材は曲げに対して比較的弱いけれども軸力に対しては非常に強いもので(証人石川陸男の供述)、鹿島建設における実験の結果によれば約三トンの荷重に耐えられるものと認められ(証人中原康の供述、「鋳鉄管支保木構造の耐力に関する実験報告書」写し)、ガス管を介して加えられる垂直荷重を支柱丸太と共に支える強度を十分に有することは明らかである。ところで、前記のとおり、鳥居建A・B・Kの笠木は方杖とこれがとりつけられた支柱丸太の上に載せられていたから、笠木を介して方杖が受けた荷重もその支柱丸太に伝えられ、結局該丸太が一本でガス管を介し笠木に伝えられた垂直荷重を全部受けることになるわけであるが、支柱丸太は一本でも右のような荷重に十分耐えうる強度を有すると認められる。このことは、例えば、鳥居建Eでは一本の支柱の真上付近にガス管が載り、前後の鳥居建数基ずつがこれを支持しなくなつて支点が形成され、そこに前記のとおりきわめて大きな荷重が集中的に加わつたにも拘らず支柱が折れるなどのこともなくガス管を支えたために、ガス管の方が折損した事実に徴しても明らかなところであり(証人重松通夫の供述)、現に鳥居建Kはそのような形状でガス管を支持して事故時に至つているのである。また方杖は、その根元を番線によつて支柱丸太に緊縛されていたことは前認定のとおりであるが、これは日本古来の緊結方法であつて十文字にゆわえて締め上げるものであり、周囲との摩擦だけで連結を保つ釘よりは強いと認められ(証人沖津明の供述)、きわめて大きな重量のある機械類を載せる台を丸太で組んで建てる場合の丸太の結合にこれが用いられることがあり、そのようにかなりの重量を番線で支える場合でも、何ら支障を来たすことのないことが認められる(被告人吉村の公判廷供述)。鳥居建A・Bの本件各方杖がしばらくの間垂直荷重を受けていたことは前記のとおりであるが、その際右荷重のために方杖がガス管を支えられない形状になったというようなことは全くうかがわれないのであり、前記のとおり同様に番線によつて取り付けられた鳥居建J・Kの各方杖はいずれも本件事故に至るまでガス管を支え、右のような荷重を受けてきていたのであって、番線で結合された本件各方杖がかかる荷重に耐えうるものであつたことは優に認めることができる。なお、甲一16の実況見分調書によれば、鳥居建A・Bに方杖が取り付けられたとき、これが付された支柱はかなり大きく傾斜していたうえ、笠木も必ずしも水平に取り付けられたわけではないと考える余地もあるというべきであるが、斜めになつた笠木にガス管を介して垂直荷重が加えられても、鳥居建支柱に対しこれを横移動させる有力原因となるほどの力を及ぼしうると考えることは前記のとおり困難であり、傾斜している支柱に垂直荷重が加わつてなお傾斜が増大するという事態がそう容易に起こり得るものではないことは、後記のとおり、鳥居建C、FないしIに対する手直しの場合と同様であつて、現に鳥居建A・Bの場合と同程度に笠木及び支柱が傾斜していた鳥居建J・Kが前記のとおり方杖を付されたのち殆んど傾斜移動することなくガス管を支えてきた事実に照らしてもこのことは明らかであるといわなければならない。方杖が付された結果、右四基の鳥居建はいずれも前記垂直荷重に耐え、ガス管の沈下を防止する役割を十分に果たし得る状態となるに至つたということができる。

その他の本件各鳥居建について。C、FないしIは、埋戻段階においては、かなり傾斜したものの、いずれもガス管の中心がなお両支柱の間にあつたと認められること前記のとおりであり、また前認定のとおり、これらについてガス管と笠木の間に隙間のあるものについては詰め物(パッキング)を入れる手直しがなされたのである。ガス管の中心が両支柱の間にあつて、ガス管と笠木の間の隙間が詰められた以上、前記のような垂直荷重がガス管及びこれを介して鳥居建に加えられても、それに対しては各鳥居建がガス管を十分に支持することのできる形状を保ち得たということは明らかであるというべきである。すなわち、ガス管は、右各鳥居建の二本の支柱の中心にはなく、どちらか一方の支柱にかなり接近していた筈であるが、鳥居建支柱の丸太は上からの荷重に対してきわめて大きな強度を示すもので、一本だけでもガス管を支えるに十分であることは前記のとおりであるから、ガス管の中心が一方の支柱に近づいていたことにより、垂直荷重のため鳥居建の形状が損われることは考えられないところである。また、各鳥居建支柱の傾斜とともに笠木も若干傾いて水平ではなくなつていたと認められるのであるが、前記のとおり、そもそも斜めの笠木にガス管を介して大きな垂直荷重が加わつても鳥居建支柱を横方向に押すことはきわめて困難であるというほかはないのであり、とくに前記星埜証言のとおりガス管が両支柱の間にある場合には笠木の傾きもさほど大きなものではないから、支柱を横方向へ押す力もほとんど働かないと認められる。さらに、以上の手直しに際しても鳥居建支柱の傾斜自体はそのままに残されたのであり、証人久宝保は、傾斜した柱の支持力は非常に弱く、垂直荷重を受けてますます傾く旨証言しているのであるが、六ないし七メートルもの深さの土中に埋まり土に支持されている支柱が、その頂部で二〇センチメートル程度移動するくらいの傾きをしただけで垂直荷重に対する支持力が弱まるとは考えられず、そのことは前記鳥居建Eの場合にガス管の中心が、一方の柱の真上付近に来る程度の傾きを示していたにも拘らず、前記のような強度をもつてガス管を支持していた事実に徴しても明らかというべきである。以上を総合して、右C、FないしIの各鳥居建も亦、手直しされたものもそうでないものも、垂直荷重に抗して本件ガス管を十分に支持する状態であつたと認められる。

三  埋戻終了後の鳥居建の傾斜の予見可能性

してみると、手直し後の本件各鳥居建は何人も直ちにはガス管の折損を予測しうるような危険な状態ではなくなつたというべきである。ところがその後、埋戻が終了したあとで、J・Kを除く本件各鳥居建が、山側あるいは海側へ傾斜し、ガス管から外れてこれを支持しなくなつたのである。この事実は、それが予見できる場合にはあるいは支点形成を生ずる等してガス管折損に至ることを何人も通常予見しうるであろうところの「因果関係の重要部分」に該るというべきであるから、以下右事実が被告人らに予見可能であつたか否かについて検討を加える。

(一) 工事関係者の一般的認識

埋戻終了後の鳥居建傾斜増大の予見可能性に関して、被告人築山の上司であつた証人増田和弘は、「鳥居建が大分埋まつた段階では柱が固定されてくるから押されることはないと思う」と証言し、帝都高速度交通営団で地下鉄建設工事を担当してきた証人畑中邦夫は「埋め戻してしまつて道路を交通に開放してからは、鳥居建を曲げる力がかかるとは思つていない。上からの圧力が加わり、これによつて横に倒れたり、縦に倒れたり、倒れやすいということは、土が埋まつたという点を前提とすれば考えなくていいのではないかと思う」と述べているし、本件事故当時の三建事務所長であつた証人神山康は、「当時の考えとしては、埋めてしまえば動かんというのが常識であつた」と供述しているのであつて、工事関係者の間では、埋戻終了後鳥居建は埋戻土砂に拘束されて動かないというのが一般的な認識であつたと認められる。

(二) 鳥居建の構造と設計者の見解

鳥居建の構造は前記のとおりであつて、各部の連結にはドリルで穴をあけ、ボルト締めする方法が採られていたが、ボルトの直径よりも穴の直径が大きくて遊びが生じ易く、全体的にガタつくおそれがあり、また笠木と支柱とは鎹八本で連結することになつていて、もともと笠木が支柱からころげ落ちるのを防ぐために両側から押えておくという程度の結合でよいと考えられていたことがうかがわれる(証人沖津明の供述)。また鳥居建支柱には松丸太が使用されたのであるが、松材であるから当然にたわみ易く、埋戻砂がある程度の深さにわたつて横移動する場合にはひとたまりもなく動かされてしまう性質のものであつた(証人西尾宣明の供述)。以上の点は、鳥居建がそもそも横からの荷重を想定してこれに耐え得るよう配慮されたものでないことを示すものということができる。すなわち、埋戻終了後、鳥居建に横荷重が加わつて傾斜移動することは、鳥居建設計者にとつて全く予想外のことであつたと認定するのが相当である(証人久宝保の供述。なお本件を契機としてガス管防護のあり方についてガス導管防護対策会議等において検討が加えられ、昭和四五年七月一日に、「ガス事業法施行規則の一部を改正する省令」に基づき告示された受防護措置に関する基準では、高さ三メートル以上の受支持具は、鉄材またはコンクリートに限るとされるに至つた〔通商産業省告示第二七八号〕)。

(三) 学者・専門技術者の見解

本件審理の過程において、埋戻終了後の鳥居建傾斜移動の原因につき、前記のとおりの種々の見解が学者・専門技術者によつて明らかにされたのであるが、いずれも高度の学問的知識と深い分析・研究の結果に基づくものであるうえ、これらの見解相互の間には種々の相違点も残されており、原因解明の困難さを示している。もとより本件において予見可能性の対象となる事実としては、埋戻終了後の鳥居建の傾斜横移動によつてガス管が支持されなくなつたという事実に注目すべきであつて、その原因やこれに関する詳細な理論的根拠まではその対象として不要なのであるが、右のように原因解明が困難であるということは、とりもなおさず、右の事実自体が容易に予見しうるものでなかつたことの一証左であるというべきであるし、他面、このような事態が従前学者・専門家らによる調査研究の対象とされていなかつたこと、そして学者らが、右のような事態が地下鉄工事等に生じる危険を説きこれへの対応策を提案することもなかつたことを示すものということができる。

(四) 本件受防護工事の特殊性

このように学者専門家等でも予見可能でなかつたその一因は、本件ガス管防護工事が、かつて経験されたことのない類いのものであつたことにあると認められる。すなわち、「地下鉄板橋工区建設工事・埋設物復旧平面図」(押符一三号・甲二34)によれば、本件折損にかかる二〇〇ミリ中圧ガス管は、本件地下鉄構築上5.8メートルないし9.2メートルの所を通つていて、本件工事により地下鉄路線と並行して約二一八メートル露出したことが認められる。すなわち、鳥居建等受防護の高さはきわめて高くならざるを得なかつたうえに、非常に長い距離掘削空間に露出していたわけである。証人柴山清の供述によれば、従前の地下鉄工事において鳥居建が七ないし八メートルもの高さのものがないわけではなかつたけれども、地下鉄構築と並行してガス管が二〇ないし三〇メートル露出していた一例を除いて、そのほとんどは地下鉄路線と交錯し、地下鉄構築上を横断する形のものであつたこと、これに対して本件事故現場付近では道路が彎曲していたため地下鉄路線の端の方に寄つて、車道の端近くを通つていた本件中圧ガス管が長い距離にわたつて露出することになつたことがそれぞれ認められる。鳥居建が右のように背が高くなると細く不安定な構造となつて、前記のように横荷重の影響をいつそう受け易くなるのであり、そのうえ埋戻空間が広く深いことから、埋戻砂の沈下、圧密差による土砂の横移動が生じ易く、露出区間が長いことにより、鳥居建やガス管はそれだけ右のような土砂の横移動の影響を受ける可能性が大きくなるということができる。鳥居建やガス管が右のように埋戻土砂の影響を強く受けるような情況下での工事はかつてなかつたといつてよいと思われる。

(五) 被告人らと予見可能性

以上のとおり、埋戻段階において本件各鳥居建はかなり傾斜移動したものの、手直しされた以上ガス管を支持し得る状態になつたものと考えられ、これが埋戻終了後なお傾斜横移動してガス管を支えられなくなることは、工事関係者、学者・研究者その他専門技術者ら、さらには鳥居建設計者にとつてすら予見しえなかつたのであるから、前記被告人らの経歴に照らして明らかなとおり、事件当時においてそれぞれの職種の経験が比較的短かい末端の鳶職人、現場監督あるいはガス施設の確認点検の係員にすぎなかつた被告人らにこの事実の予見が可能であつたと考えることは困難であるといわなければならず、他に右可能性をうかがわしめる証拠はないのである。すなわち、被告人吉村は、いわゆる出稼ぎの労務者であつて、鳶としての経験も浅いうえ、地下鉄工事に従事するのは本件が初めてであつた。被告人築山はたしかに大学で土木工学を専攻した専門技術者であるとはいえ、本件埋戻土砂が示したような事象について特段これを研究していたわけでもなく、地下鉄工事の経験も本件工事までにはなかつた。被告人早川も大学で土木工学を専攻した後、交通局高速電車建設本部に技師として勤務していた者であるが、本件のような受防護について特段の調査研究をしていたわけでもなく、現場の経験も本件工事が初めてであつた。被告人小原は東京ガスの他企業による工事によつてガス管等のガス施設が悪い影響を受けることのないよう確認検査や巡回点検をすることを業務としていた者ではあるが、同被告人自身の公判廷供述によれば、このための教育や訓練を受けたことは特になかつたし、まして土木工学や建築関係の教育を受ける機会もなく、その関係の専門的知識は殆んど有していなかつたものと認められる。このような被告人らについて、たとえいずれもがかなりの程度に傾斜移動し手直しされた本件各鳥居建の状況を認識していたとしても、これが埋戻終了後の時点においてさらに傾斜横移動しガス管を支持しなくなることについての予見可能性があつたとは認定することができないといわなければならない。以上により被告人らは客観的にも主観的にもこのような事実についての予見可能性を欠いていたと結論することができる。

検察官の取調に対して被告人吉村は、「私達がつけた方杖があるやぐらの辺りのやぐらがひどくずれているのは素人が見てもわかるような状態だつたのに、あの程度の方杖を付けることで間に合わせたのは間違つていたと思う」と述べ(同被告人の検察官に対する昭和四五年五月二七日付三丁の供述書・乙13)、被告人築山も「このように添木を付けなければいけない程ガス管が支柱丸太からはずれていることが判つていれば、その鳥居建を切つて、しつかりした脚に角材か何か渡してボルトで留め、その付近をしつかり埋戻し転圧したうえステコンを打つてガス管の下に鳥居建が来るように別の鳥居建を作り直す」旨供述し(同被告人の検察官に対する昭和四五年五月二四日付供述調書・乙35)、被告人小原が「添木をつけただけでは支えにならないから、上からの重みに耐えられなくなつて、ガス管がちやんと笠木の上に載つているところを支点としてひびが入るということが考えられる」旨述べ(同被告人の検察官に対する昭和四五年五月八日付供述調書・乙30。ただし被告人小原の関係のみ)、それぞれ方杖等の手直しだけでは鳥居建がガス管を支持しえなくなることが予見可能であつたとし、ないしはそれを当然の前提とする供述を行つているのであるが、以上に述べたところに照らして、果たして真意に出たものであるか疑わしいから信用性に乏しく、肯認し難い内容のものであるといわざるを得ず、前記予見可能性に関する事実認定の結論を左右するに足るものではない。

四  結論と検察官の主張に対する批判

以上によれば、被告人らには埋戻終了後における本件各鳥居建の傾斜横移動の事実に対する予見可能性はなく、従つて本件ガス管の折損ひいて本件死傷の結果に対する予見可能性はないから、本件各業務上過失致死傷の罪責は負わないこととなる。

検察官は「埋戻中に本件各鳥居建が傾斜変形したところで、これを埋戻砂の上部で切断して砂上に丸太とコンクリートで地盤をつくり、新たに小型の鳥居建を建てるなどの方法により正常な状態に是正することなくそのまま埋戻し復旧した場合には鳥居建がガス管支持の役割を果たさなくなり、ガス管が自動車の荷重、土圧等により折損するに至ることは一般常識人によつて十分に予見可能なことであつた」として、埋戻段階における傾斜の際、検察官主張のような適正な是正措置を講じない限り、それだけでガス管折損が予見可能であつて、前記二・三のような事項の検討はすべきではないと主張している。その根拠として検察官は、「鳥居建は、埋戻完了後に埋戻砂の圧密、沈下等の影響による荷重がガス管に作用し、それに基因してガス管折損等の事故が発生することを防止するため、埋戻完了後において下方からガス管を支持・固定するとの目的・機能を有するものである。鳥居建はこの目的・機能を十分に果たすため二本の支柱の間隔が下方に行くに従つて漸増するような状態に建て、支柱の中心にガス管を位置させ、笠木に加えられたガス管の荷重を二本の支柱によつて二分して支えるようになつている。鳥居建が右のような正常な状態を保ちその中心部にガス管を位置させることは鳥居建に要求された最も基本的な要件であるのに、本件各鳥居建は、支柱が傾斜・変形して正常にガス管を支持することが不可能になつていたもので右の基本的要件に欠けていた」と説いているが、鳥居建が傾斜し、その中心部にガス管を位置させ得ない場合に、どのようにしてガス管折損に至るのか、何故そのことが予見可能であるのかその理由は必ずしも明らかではなく、前記二・三の諸点に照らしても右の説明には納得し難いものがあるといわなければならない。検察官は「鳥居建が傾斜したまま埋め戻されれば、その後土圧の影響等によつてある程度の動きを示す可能性のあることは一般通常人の常識をもつて予見可能な事柄である」とも主張しているのであるが、この主張が本件各鳥居建の埋戻終了後の移動量が微量であるとの前記の事実認識を前提とするものとすれば、前記のとおりかかる事実は肯認し得ないのであるから右主張は前提を欠くものとして失当であり、およそ傾斜した鳥居建が埋め戻された場合には埋戻終了後、相当の距離動く可能性があると主張しているものとすれば、前記三のとおり、そのような事実を予見することは困難というほかはないから、やはり失当であるといわなければならない。

また、検察官主張のような是正措置を講じない限り、ガス管折損に至ることが一般常識人にとつて予見可能であるとする点も前記の諸点に照らして首肯し難いといわざるをえないのであるが、右主張の是正措置自体の適切さについても疑問の余地がある。右措置は、もともと傾斜した支柱丸太を基礎にしてその上にコンクリート板を載せるものであつて、非常に安定に乏しいものであるというべきところ、コンクリートの下の土砂が前記の地下水の水位上昇によつて沈下し易い状況にあつたことを考えると、前記密度差による偏土圧も加わつて基礎の丸太が大きく傾斜する可能性があり、そのためコンクリート板が横移動し、あるいは水平を保てなくなり、結局、その上に新たに建てた鳥居建もこれに従つて横移動ないしは傾斜するなどしてガス管を支持し得なくなるおそれが十分に存したというべきである(証人石川陸男の供述)以上、種々の点から検察官の主張は失当であつて、前記のとおり、本件各業務上過失致死傷の罪責を被告人らに問うことはできないから、その余の点につき判断するまでもなく、被告人全員につき犯罪の証明がないということになる。

五  付―鳥居建施工上の問題点

なお、検察官は公訴事実の中で、鳥居建構築工事が粗雑に行われたと主張し、この点をも鳥居建傾斜の原因であるとして被告人らの責任を問うかの如くであるので、この関係で本件審理中問題となつた点について、ここで検討を加えることとする。

(一) ボルトを折り曲げて使用した点について

証人林藤男、同増田和弘、同白戸光頼及び同吉岡善秋の各供述、検事飯田英男作成の昭和四五年五月一七日付写真帳作成報告書(甲一194)添付写真によれば、鳥居建の接合部に使用されたボルトが長すぎるため、ナットで締めずにボルトの先端を折り曲げて結合した箇所がかなり多かつたことが認められる(被告人吉村は公判廷において、ボルトは折り曲げたけれども、曲げたのは頭の方であり、このように曲げたボルトを穴に通し、ナットで締めて止めた旨供述しているが、本件の各写真中に右のように頭を折り曲げたことをうかがわしめるものは見当らないのみならず、同被告人自身が捜査段階ではボルトの働きの部分が長すぎて締まらないので叩き曲げただけにした旨供述し〔同被告人の検察官に対する昭和四五年五月二一日付供述調書〈乙9〉〕、右のような特殊な折り曲げ方をしたとは述べていないのであり、公判廷において突如右のような供述をした理由につき納得のいく説明をしていないことも考慮すれば、前記公判廷供述はにわかに措信し難いといわなければならない)。

しかしながら、証人吉岡善秋は、右のようにするとボルトの力は半減すると思うと証言してはいるものの、反対尋問において問い質されるや、「重量物を吊り上げる場合などにボルトを折り曲げて使用することがあるが、それで結構もつ。力が半減するといつた根拠は非常にあいまいである」と述べるに至つているのであり、証人神山康(事件当時三建事務所長)は、「ボルトをナットで止めず、折り曲げて止めているのを見たら、自分なら是正措置を求めただろう」と供述しているものの、これについて特段の根拠を述べているわけではない。これに対して証人沖津明は「ボルトの先端を曲げた場合、ナットを締めた場合とその連結の強度に大差はない。ボルトそのものが直径9.5ミリメートルという太さであるから、それを曲げたらゆさぶつたくらいで曲げがのびて元に戻つてしまうということはない。ナットをかけるのは横に外れるのを防ぐだけだから、それ以上の力が加われば、ボルトの曲げがのびる前に木材そのものが破壊してしまう」旨証言しており、右吉岡、神山証言と対比し、内容が合理的であつて信用しうるというべきであり、ボルトの折り曲げにより鳥居建の構造が特段に弱いものとなつたとはいい切れないと考えられる。そして証人渡辺隆は「地盤が全体として押してくるとき、鳥居建の結合部のゆるみはほとんど関係がなく、鳥居建は傾斜変形してしまう」旨供述しており、仮にボルトの折り曲げによつて本件各鳥居建の接合部に、本来想定された以上の接合力の低下があつたとしても、埋戻土砂が密度差の故に右のような材質構造の鳥居建を動かし得るほどの移動をする場合、すなわち土砂がある程度の深さにわたつて一斉に動く場合には、鳥居建の接合部に何か所か弱点があつても、これと関係なしに鳥居建を動かしてしまうものと考えるのが相当である。ボルトの折り曲げが本件事故の発生に特に寄与するところがあつたとは認め難いというべきである。

(二) 笠木の取付に釘を使用した点について

また、前項(一)掲記の各証拠によれば、笠木と支柱丸太の結合にあたつて、所定の本数(八本)の鎹を用いることなく、これを減らして代りに釘を打ち込んで止めるということも相当多く行われていたことが認められる(その理由のひとつとして、前記のとおり交通局から鹿島建設に対して渡された標準図の笠木の寸法が九〇ミリメートル角となつていて、支柱丸太〔末口一三五ミリメートル〕よりもかなり細いため、鎹を笠木と支柱とに打ち込もうとすると、支柱の上端の角に当つて、打ち込み難かつたとの事情があつたことが認められる〔証人中原康及び同沖津明の各供述〕)。

しかし、右証人沖津明及び同中原康の供述に「鋳鉄管支保木構造の耐力に関する実験結果報告書」と題する書面を総合すると、笠木と支柱丸太の連結に関し、鹿島建設の技術研究所において、(1)釘のみで連結した場合、(2)釘と鎹の双方を用いて連結した場合、(3)鎹だけで連結した場合のそれぞれについて横荷重を加えて笠木の変位量を比較して実験した結果によれば、変位量が小さい範囲では、(1)・(2)の耐える荷重は(3)よりもかなり大きいこと、しかし変位量が大きくなると、(1)は、(2)・(3)よりも小さな横荷重に対して抗し切れず、笠木が支柱丸太から外れてしまうこと、鎹の場合は耐力にばらつきが大きい(木材の材質や打ち方によつて耐力が非常に大きく異なる)のに対し、釘の場合には安定していること、鎹二対で連結した場合には鎹一対の場合の耐力とさほど変らず、鎹と釘の両方各一対で連結した場合の方が耐力が大きかつたことが認められる。したがつて、鎹の本数を減らしただけでは耐力にさほどの違いはないが、鎹を全く使用せず釘だけで連結したものは大きな横荷重を受けると外れ易いものであつたということができるところ、本件事故との関連を考えれば、本件ガス管折損箇所付近の鳥居建のうち笠木が支柱丸太の上に載つていなかつたものは前記のとおりCとIの二基だけであり、この二基ともに実況見分調書(Iについては甲一14、Cについては甲一16の各調書)によれば事故当時大きく傾斜していて、たとえ笠木が載つていたとしてもガス管を支持しうる状態になかつたことが明らかである(しかも鳥居建Cについては、釘と鍵が併用され、右のとおりもつとも耐力の強い方法がとられていたことがうかがわれる)から、笠木の取り付けに鎹を八本使用しなかつたことが本件事故発生に影響を与えたものと考えることはできないというべきである。

以上のとおり、被告人らはいずれも本件業務上過失傷害の罪責を負わない結論となるわけであるが、本件審理においてはなお以上のほかの理由により被告人らが無罪である旨の主張が弁護人からなされ、それらの点に関する審理も行われたので、以下に当裁判所の判断を示しておくこととする。

第六  付随的論点―本件各鳥居建工事の立会確認の日《省略》

第七  付随的論点―埋戻工事中の各鳥居建の傾斜時期《省略》

第八  被告人らの本件過失責任の有無

一  本件前提事実(各鳥居建の傾斜等)に対する各被告人の認識

(一) 被告人小原の認識及び認識の可能性

前記(第七)のとおり、昭和四三年一一月一日の本件折損箇所を含む区間のガス管受防護工事の立会確認の際には、本件各鳥居建はいずれもとくに傾斜していたわけでもなく、鳥居建A・B・J・Kには方杖も付されていなかつたのであるから、立ち会つた被告人築山、同早川及び同小原の三名が、方杖が付いていたり大きく傾斜した鳥居建を見る筈はなく、これを見た旨の被告人築山の公判廷供述及び捜査段階における供述(検察官に対する昭和四五年五月六日付〔乙26〕、同月二〇日付・一二丁のもの〔乙30〕、同月二三日付〔乙32〕各供述調書)、被告人早川の検察官に対する供述(同月二〇日付・本文一六丁の供述調書〔乙50〕)がいずれも信用することができないことは前記のとおりである。

そして被告人小原については、右各証拠のほかには、その他の機会をも含めて同被告人が右のように本件鳥居建が傾斜移動していた事実を認識していたことをうかがわせる証拠は全くない(被告人築山が捜査段階において、方杖を付けるという方法は被告人小原から教えられたものである旨供述したことがあることは前記のとおりであるが、被告人築山は捜査中に右供述を虚偽であつたとして撤回しており、関係証拠に照らしても、右供述は真実とは認め難い)。また被告人小原が、他の箇所におけるガス管防護工事の立会に行くとき、あるいは巡回中に本件折損箇所付近を通つたことが、昭和四三年一一月一日以降もあつたと当然考えられるのであるが、前記のとおり、本件各鳥居建の傾斜が起こり、方杖付けなどの手直しが行われたのがいつであるかが確定できず、他方同被告人の立会に赴いたときの経路や巡回の日程等も明らかではないから、同被告人がこれらの傾斜し手直しされた鳥居建の状況を認識する可能性があつたとも認められないのである。すなわち、同被告人については、昭和四三年一一月一日はもとよりその他の日においても、鳥居建支柱丸太が傾斜していたにもかかわらず、これを看過したものと認定することができないことになる。

(二) その余の各被告人の認識

これに対して被告人早川については、事故の三日後である昭和四四年三月二三日に、同被告人が司法警察員に対し、「鹿島の係の人から鳥居建の補強のため添木をするという話は受けたような記憶があるが、場所とどの管であるかは分らない」と述べ(乙38の供述調書)、検察官に対して「添木を見たような記憶がある。連続して二基あつたように記憶している」と述べて鳥居建Jの形状によく似た絵を描いたうえ、検察官から「責任を軽くするため嘘をいつているのではないか」との趣旨の質問をくり返されても右供述を維持し(前記乙50の供述調書)、またその後もこれを補充する供述をしている(検察官に対する昭和四五年五月二二日付供述調書〔乙51〕)との事情がある。また、被告人早川の上司である近藤瑛一の検察官に対する同月二日付供述調書(甲一179)には、「事故後四、五日経つて関係者一同集まつて何故方杖を付けたのか問い質したとき、早川が『爆発現場の方杖ではなく、その近所の別なところに方杖を付けた記憶がある』というような話をしていたような記憶がある」旨の供述があり、この供述は上司として同被告人をかばう立場にある者の敢えてした供述であるうえ、この供述がなされた時点においては鳥居建J・Kが未だ掘り出されていなかつたことを考え合せると十分に信用することができるというべきである(被告人小原の弁護人は、被告人早川としては方杖付けを知らなかつたとはいい難い雰囲気があり、また方杖付けの目的が横に張り出した笠木の折損を防止するためのものであつたと虚偽の事実を聞かされ、安心感も手伝つて、右のように発言したと推測されるから、この発言は被告人早川が本件鳥居建に対する方杖付けを認識していたことを示すものではないと主張しているが、同被告人は、当時掘り出され論議の対象となつていた鳥居建A・Bについての認識をあくまで否定し、また鹿島建設の関係者らからどのような説明を受けていたにせよ、掘削された鳥居建の状況から方杖付けを知つていたことを承認することがどれほど重大な意味を持つかをその立場上十分に知つていたというべき状況下で、敢えてまだ掘り出されていない鳥居建の方杖付けを認める供述をしたのであつて、この事実に照らせば右主張のような推測をすることは無理であるというほかはない)。以上の諸証拠を総合すると、同被告人は、公訴事実掲記の昭和四三年一一月一日とは別の、埋戻が行われていた期間中の何らかの機会に、鳥居建J・Kに方杖が付されている状況を見たことがあるものと認定するのが相当であり、従つて右二基及びその前後の各鳥居建が傾斜移動し、方杖を付される等の手直しを受けた状況は、これを認識していたか、少くとも認識しうべき機会はあつたものと認められる。

また被告人吉村については前記(第七・四(一)(4))のとおり、鳥居建A・Bに方杖を付ける工事を行つた者であり、前記第七・四(二)において検討した証拠関係によれば鳥居建J・Kの方杖取付けにも作業員を指揮するなどの関与をしたものと認定するのが相当であり、被告人築山も前記(第七・四(一)(3)3、同(二)(3))のとおり、A・Bの方杖付けを指示し、J・Kの方杖についてもこれを取付当時から知つていたのであつて、いずれも公訴事実掲記の日とは別の時期においてではあるが、本件各鳥居建の傾斜とこれらが手直しを受けたあとの状況は十分認識していたことが明らかである。

二  埋戻終了後の本件各鳥居建傾斜移動の予見可能性

しかしながら、右手直しによつて、本件各鳥居建はガス管を支持し得る状態になつたのであつて、これらが右支持の役割を果たさなくなつたのは埋戻後の本件各鳥居建の傾斜移動によるものであり、被告人らにいずれもその予見可能性がなかつたことは前に第五において認定詳論したとおりである。したがつて右のとおり本件各鳥居建の埋戻終了前における傾斜移動及びその手直しされた状況を認識していた被告人吉村、同築山及び同早川の三名について、また、被告人小原が仮に右同様の認識ないしその可能性を有していたとして、同被告人について、いずれも右の状況のままで埋戻し復旧した場合、これらがなお傾斜移動して本件ガス管を支持しなくなり、同ガス管が上からの荷重により折損して事故に至る危険のあることを予測しなかつたこと及びそれぞれが結果回避の措置を講じなかつたことにつき、過失責任を問うことはできないというべきである。

三  付言

本件は、平和に過していた一家五名の貴い生命を一瞬に奪い、三名の者たちに傷害を負わせ、近隣の人々に対し多大の財産的損害を蒙らしめたばかりでなく、付近住民に大きな恐怖と不安の念を生ぜしめた重大な事件であつて、社会に及ぼした衝撃の大きさには測り知れないものがあり、関係者ないし企業においては本件があらゆる側面において不可抗力といいうるものであつたかどうかについて深刻な反省をなすべきであり、また、同種事件再発防止のための万全の措置の確立が強く迫られているということができる。前記のとおりガス導管防護対策会議による検討の結果などから、ガス管受防護の方法は大きく改められ、事故防止に向かつて大きな前進が見られたことは事実であるが、前認定の本件事故原因に即して改めて本件ガス管防護の問題点をあげてみると、第一に、前記のとおり、本件各鳥居建は、その構造が細く、高く不安定で、使われた松材は、たわみ易く、部材の接合部に遊びができ易いボルト締めの方法がとられ、笠木の接合方法などに照らしても横荷重に耐えうるようなものでなかつたことがまず指摘されなければならない。第二に、関係証拠に照らすと、松材を使用するためにもともと精密な仕上げが困難であつたうえ、強度上支柱の間隔が狭く、つなぎ材が多くなるため埋戻土砂が支柱の間や裏側にまわりにくく、タコ、ランマー等による十分な突き固めをし難く、それが埋戻土砂の密度差による横移動等を招来する一因となつたことが認められる。そして、第三に、前記のとおり、本件事故現場付近はかつてあまり経験されたことのないほど深く、かつ、ガス管が長く露出していたうえ、工事終了後地下水位が回復し埋戻土砂が水にひたされたのであつて、このような箇所で右のような鳥居建が使われたことにより前記第一・二の問題点が一層拡大されたものと考えられるのである。すなわち、右のように殆んど経験されたことのない条件下の工事であるのにかかわらず、従前からの受防護方法を若干の手直しをしただけで使用したところに最大の問題が存したというべきである。

そうすると、交通局において本件地下鉄工事のためのガス管受防護の方法を策定するに当つて、右のような本件事故現場付近の特質を念頭におき、その観点から、あるいは起こりうるべき災害を想定しつつ、慎重な配慮を加えることが望まれるところであつたといわなければならない。また、東京ガスにおいても、本件のような特殊な箇所の受防護であることを当然知つた筈であるのに、その点につき特段の配慮をめぐらせた調査研究を行つて交通局に申入れをすることもなかつたばかりか、特別の教育を担当職員に施し、あるいは本件現場における受防護の確認点検に当つて特に注意すべき点を検討するなどの本件事故現場付近の特殊性に応じた措置を何ひとつとらなかつたことが被告人小原の公判廷供述によつて明らかである。そして鹿島建設も受防護の施工について右特殊性に応じた配慮を行つた形跡のないことは同様であるのみならず、その埋戻及び締固めの作業の仕方に多くの問題があり、これが事故の一因をなしたものであることは前記のとおりである。

右に述べたとおり、各企業関係者は、本件工事現場の有する特殊な状況に対応してあるいは起こりうべき災害を想定したうえ、慎重な配慮をなすべきであつたのにこれを欠き安易に事業を施行したものであつてその態度には、この悲惨な事故を招来した一因として看過することのできないものを見出さざるを得ない。

なお、交通需要の増大と技術の著しい進歩に伴い、地中のきわめて深い所まで掘削され、地下鉄建設が進められるに至つている状況下において土木業界、土木工学専攻学者の間に、右のような工事に伴つて生ずる可能性のある諸々の事態に関する調査研究は殆んど行われていなかつたことがうかがわれ、ここにも事故発生に対する責の一端を負うべきものがあることを否定することはできまい。

以上の諸点を総合考慮するならば少くとも交通局及び東京ガスの受防護策定に関与した者及び鹿島建設の埋戻担当者並びにこれらを監督して事業施行の衝に当つた各企業の責任者はいずれも社会的非難に値する事由を有していたといわざるを得ず、この点につき十二分に深く思いを致すべきであると考える。

四  結論

以上に縷々述べてきたとおり、被告人吉村、同築山及び同早川に対する各公訴事実については、いずれも前記二の理由により、被告人小原に対する公訴事実については前記一(一)及び二の各理由により、それぞれ犯罪の証明がないことになるから、各被告人に対し、いずれも刑法三三六条により、無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(岡田光了 永山忠彦 木口信之)

〔別紙一〕

〔別紙二〕

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